カテゴリ:雑感
数日前、
「是が非でも叶えたい願いを叶えるためにはどうすればよいか? 答えはシンプルで、 流れやタイミングを見つつ、その目的を実現するために役立つと考えられる“すべてのことをやる”ことだ。」 といった記事を書いた。 この“すべてやる”のもっともよい見本は、結婚式のときの花嫁さんだ。 結婚式に出て、みなれた友人や後輩達をみて、「うわぁ、綺麗だなあ」と思ったことは一再ではないはずだ。ときには「こんなに綺麗だったとは」と驚いたこともあるだろう。 綺麗とは姿勢やら衣装やら表情やらすべてを含んだ、全体的な雰囲気を指している言葉なのだと思う。 そういう意味で、綺麗じゃない花嫁さんはいない。 ということは、綺麗であろう、素敵であろうとしてできることをすべてやれば、綺麗な人だと思われることはほぼ誰にでも可能だということだ。 もちろん、プロのトーナメント戦のような激しい競争となれば、そこを勝ち抜くためには「できることをすべてやる」という姿勢で臨んでくる人たちとの勝負になるため、そうすればすべて叶うといえるほど単純ではない。しかし、そうしたバトルロワイヤル的なシチュエーションは、むしろ競争をわかりやすくゲーム化するために人為的に作られたひどく偏った状況といえる。 だから、そういうことを除けば、たいていのことは、本気で望んで「できることをすべてやれば叶う」ということを、漏れなく綺麗な花嫁さんは教えてくれている。 * あるいは、目的に向かって、すべてのエネルギーを一点集中、板にキリで穴をあけるようなそんなイメージ。 太陽光線ですら、虫眼鏡で集めるだけで、着火することができる。 あなたのエネルギーもすべて集中させれば、たいていのことはできる。 紀元後になってたかだか2000年ちょっと。 ぼくらはうまくすれば100年生きることができる。紀元後の世界史の1/21を僕らは作ることができるのだ。 ひとり一人の集中力と継続力が組み合わさったなら、世界だって変えられる。 そう思うと希望はいくらでもある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015/05/13 02:15:42 PM
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