すべての人の生き方が等価
これは何だと思いますかまるでサツマイモかのように見えるのは、「天山雪蓮」という果物なのです皮をむいて食べるのですが味は薄甘でシャリシャリ感ていうかサックリ感ていうか初めて経験した果物です中国の北の方で取れるらしいです緑色の方は「冬棗」と呼ばれ、大きさは卵よりやや大きく日本で食べられる棗とりんごを足して割った味です以前の日記で吉岡逸夫著「いきあたりバッチリ」新潮OH文庫からやる気のある人は、必要があるからやっているやる気のない人は、必要がないからやっていないやる気があるほうがいいとも限りませんどちらも等価ですという部分を抜粋したことがありますが私はこの等価という見方が好きです日本を含めて6カ国目の香港に現在住んでいますがこれまで多くの人たちを見てきましたそしてその日々の中で感じていることはいい生き方、ダメな生き方があるのではなくそれぞれの生き方があるだけですべての生き方が等価であると感じていますいつもありがとうございます big HUG!PS先日友人が「自分の人生は行き当たりバッタリでダメだ」と嘆いていましたが目標を決めてそれに向かって生きる人生もいいですが行き当たりバッタリつまり目の前に与えられたその時々の環境をいかに「快」に生きるかというのも面白いと思っています私の生き方は当に後者でこの生き方が自分にはバッチリです