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6月の18日からなんと1ヶ月近くもアップしていなかったのか・・とあらためてびっくりしました。
多忙とか、言い訳をするのはいやですが、いろいろと新しいことをやり始めたこともあって時間がとれずにいました。わずか数行でもアップできれば、と思いながら、なかなか考えもまとまりませんでした。 ここ1ヶ月のスパンをとると、私の周りの流れが何か変わっているように思います。それは一体どういうきっかけか、と考えていますが、少なくともここしばらくは、次の2つが私のキーワードでした。 * 受身の人生 * 勝負の人生 この二つです。一見すると矛盾しているように思えますが、実はこの根本にある大きな前提があります。それは運命はあらかじめ決まっている、ということなのです。 あらかじめ決まっている人生だから、夢や願望を貫くために、理想を掲げて努力することはしない、むしろ自分の先はまったくお任せ状態(=受身)にしてしまうのです。しかし一方で何もせず、ひきこもっているのではありません。むしろ、2006年7月12日に日本の東京に生きる私だから感じられること、できること、を精一杯生き抜こう、自分が自分として生きる、という感覚に忠実にしたい、と思います。 精神世界でよく言われることは、自分に起こるすべてのことに偶然はなく、すべて意味のある現象だから、その意味をよく考えて成長することが大事だという教えです。私は自分に起こるすべてのことは偶然ではない、というところまでは納得します。それはあらかじめ決まっていたことだからと。しかし、その先、その現象をどう捉えるか、というところでかなり違ってくるようです。 それは、それを受けてたつ、場合によってはこちらから勝負をかけに行く、というところです。受身というのは起こる出来事に対して受けてたつ、という意味に近いかもしれません。そしてその中で果敢に攻めるところは攻める、そして結果はお任せ。 私が私として生きるというのは、私らしくでもなく、まして人のためにではなく、自分が生まれたことを執拗に私を生んだ宇宙、あるいは神に問い返す、そんなことかもしれないと思います。 そしてそう思い始めた瞬間から、大きな流れが向かってきたようにも思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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