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標題のようなことを聞かれたらどう答えるだろうか?確かに日本人に限らず、国民性というのはいろいろあってこれだ、と一つに絞ることはなかなか難しい。しかし、私は日本人の特性を聞かれたら迷わずこう答えると思う。 「周りと同じであろうとすること」。 今まで何度もここに書いてきたが、私の仮説によると日本人は大陸から追い出された者が東の端に見つけた島に住み着き、いじめられた苦い経験のある者同士一定のルールを作って暮らし始めた。このルールというのは「みんな仲良く」すること。二度と大陸のような争いに巻き込まれないためにも、そもそも争いごとをなくせばみんなうまくいく、という発想だったのだろう。だから「みんな仲良く」暮らすことが何より大切な訳だ。 では、「みんな仲良く」するためにどのような知恵が出てきたか。やはり、平等であろう。みんな同じであれば仲たがいすることもない。平等の実現がなされたことはなかったにせよ、どの時代の日本人もそれを目指してきたと思う。そうでないと、恵まれている層と恵まれない層との間でいつも仲たがいが起こる。この理想と現実のギャップを「身分」というもので納得させられてきたのであろう。そこで、「仕方がない」という仲良しグループを維持するのにとても都合のいい感情を表す表現ができたのだと思う。 また、仲良しグループを恒久的に維持していくためには嘘つきを廃除しなければならない。嘘つきを野放しにしておくといつグループ内の信頼が崩れ、ひいてはグループ自体が崩壊する危機につながるかもしれないからだ。日本人は実害の有無にかかわらず嘘つきを非難する。これはいいことなのだが、いきすぎる部分もある。最近の例でいえば、産地偽装など。それによって食中毒が起こるとかいう訳でもないのに、また、数日の賞味期限を過ぎたものを売ったということで会社が潰れることもある。これも偏に日本人の嘘つき嫌いのなせることであろう。 もう一度言うが、日本人の最大の特徴は「周りと同じであろうとすること」だ。つまり、みんなと同じ色でい続けるということ。それによって大陸という怖いところとは隔離された、自分達だけの弱い者パラダイスを維持できるのだ。 この特性もいいところもあれば悪いところもある。いいところの例は、やはり教育と道徳が同じ方向性で教えられ(最近はそうでもないかもしれないが・・・)、国民全体の底上げができることだろう。戦後の経済成長はこの国民性なしではここまで成功しなかったと思う。この国民の上に優秀な「お上」が立ってリードしていけばその方向が間違っていない限り全体が向上していく。この「全体」を考えた場合、日本人のこの特性はかなり大きなアドバンテージとなる。 しかし、最近ではこの国民性の悪いところも露呈している。どうしても周りと同じ色でいようとするため、ちょっと変わったことをする人や妙な感じで優れている人を叩いてしまうのだ。「出る杭は打たれる」ってやつだ。出る杭は周りとは違った色となる。これはどんなに優秀でも周りの色とは違った色になり、全体の和を壊す可能性が出てくる。だから打ってしまえ、ということだ。これは現在のように社会が変化を求めるときに足を引っ張る。何か今までどおりではないことをしようとしても、妙に保守的な年長者によってその芽を摘み取られてしまうのだ。 2週間ほど前、この国で信じられないことが起こった。衆議院総選挙で今までこの国を支配してきた「お上」にNoを突きつけたのだ。国の支配者を国民自身の手で変えたのはある意味、日本史上初のことではないか。我が国にも他の民主主義国家並みの経験値が加わったのかと思う。 自由や民主を標榜する欧米諸国はほとんどが国の体制を国民の力で変えた歴史があったり、国の成立に携わった経験があったりする共通点がある。だから我が国ほど「お上」が偉くならない。車を降りれば運転者も歩行者という交通弱者になるのと同じで、「お上」もその立場を離れれば一国民であるということを我が国よりはよく分かっているのだろう。しかし、我が国では「お上」は一般国民とはかけ離れた特権階級だ。よっぽど極悪な犯罪でも犯さない限りニュースでも名前は出ないし、仮にそのようなことがあっても仲間が国家権力というとてつもない力を使って全力で守ってくれる。そして、何といっても仕事の最終責任を取らなくていい。選挙で落選すればただの人となってしまう与党議員が代わりに責任を取ってくれるからだ。中学生の頃、インドではカースト制度という身分制度があると習ったが、我が国にも今だに極端な身分制度が存在するのだ。 こんなパラダイスのような身分で、実際に行われているのは学生時代の延長線上にある出世競争だけ。はっきりいうと、こんなの自己満足にすぎない。「お上」の本分は国民の奉仕ということになっているが、そんなのはおかまいなしだ。「英語で98点取った、お前は90点か、俺の勝ちだな」。こんなことと大差ないことが各省庁で行われているのだろう。そこに仕事の「本当の」成果は関係ない。 そんな「お上」が今まで守ってくれた与党議員が下野することとなり、代わって自分達を攻撃する人達が与党となるということで戦々恐々としているようだ。まさしく、国民がこの国の上層部をひっくり返したと言っていいだろう。与党の派閥の長と言われる議員といい、「お上」といい、その立場に安穏としていた人たちにとってはこれからずっと向かい風が吹くだろう。自分たちの本分を忘れて(というか、棚に上げて?)自分に向かってだけ仕事をしてきた報いだ。それにしても現与党の混乱ぶりを見ると長らくこの人達に政治を託してきた我々の間違いに滑稽さすら感じる。 何はともあれ、こういう特性を持ち、「長い物には巻かれろ」主義の仲良し軍団が本当に自分達の意思で国を変えたというのは感心した。これからうまくいくかどうかは分からないが、国民が自分達で選んだ道。「お上」と与党議員の馴れ合いのために費消されていた我々の財産(=税金など)が本当に我々のために使われる日が近いかもしれない。いいことばかりではないにせよ、来週から与党となる党の議員の皆さんに淡い期待を抱く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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