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カテゴリ:昔話
『喜びも悲しみも幾歳月(いくとしつき)』は、 1957年(昭和32年)に公開された「おいら岬の灯台守」で、若山 彰が歌い出しの映画における主題歌です 「おいら岬の灯台守」若山 彰 おいら岬の灯台守は 冬が来たぞと海鳥鳴けば 妻と二人で沖行く船の 北は雪国 吹雪の夜の 無事を祈って火をかざす 沖に霧笛が 呼びかける 火をかざす 呼びかける 木下惠介監督によるこの映画では、観音崎(神奈川県)や御前崎(静岡県)など、日本各地の灯台を転々とする灯台守(とうだいもり)夫婦の人生ドラマが描かれています。 1932年、上海事変勃発の年、新婚夫婦(佐田啓二、高峰秀子)が観音埼灯台に赴任します。 翌年、日本は国際連盟を脱退、夫婦は石狩灯台へ転勤します。 冬の寒さに耐えながら、長男と長女に恵まれる。1937年、長崎県の孤島・女島灯台へ転勤します。 1941年、佐渡島の弾埼灯台に転勤する。翌年、日米開戦となります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 終戦を、静岡県の御前埼灯台でむかえる。 1950年、三重県の安乗埼灯台へ副台長として転勤する。 娘(有沢正子)は、御前埼で親しくしていた知人(夏川静江)の世話で、東京の大学へ進学する。1954年、台長として香川県の男木島灯台へ赴任します。 このとき、息子(中村加津雄)が不良と喧嘩して刺され死亡する。1955年、再び御前埼灯台へ。娘は、東京の知人の息子(仲谷昇)に恋われて結婚する。 そして、小樽の日和山灯台へ。映画は、霧の立ち込める日和山灯台への坂道を登る老夫婦のうしろ姿で終わる これが、「灯台守」として戦前から 戦後の半世紀に渡って過ごした経緯ですが、主演の佐田啓二&高峰秀子の熱演が懐かしく、息子さんの「中井貴一」さんの出演をみる毎に思い出します お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.02.27 08:52:10
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