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カテゴリ:その他
【 ウイキペデアでは、高句麗のことを、高句麗(こうくり、コグリョ、朝鮮語: 고구려、英語:Goguryeo、拼音: Gāogōulí、紀元前1世紀頃 - 668年)または高麗(こま、こうらい、コリョ、朝鮮語: 고려、英語:Korea、拼音: Gāolí)は、現在の大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国北部から中国東北部(満洲)の南部にかけての地域に存在した国家。最盛期には中国東北地方南部、ロシア沿海地方の一部、および朝鮮半島の大部分を支配した。朝鮮史の枠組みでは同時期に朝鮮半島南部に存在した百済・新羅とともに三国時代を形成した一国とされる。】・・・としています。 紀元前一世紀頃の話です。 井上清郎氏の 「渡りくる人びと」によると、 朝鮮半島では高句麗は日本から最も北になります。現在の北朝鮮・中国東北部にあたります。 確かに遠いです。だから交流が少くなかったのかというと、決してそうではありません。 日本海を挟んで対岸ですし、その航路を使った高句麗施設の来日もありました。 「環日本海文化圏」を構成する重要な地域の一つでして、半島南部の百済・新羅と若干の違いはありましたが、 日本へ海外の文化文明を伝えてくれる大切な国でした。 聖徳太子のブレーンに招待されたのは、高句麗僧の恵慈です。日本は朝鮮半島では百済と最も 親密な関係でしたが、あえて高句麗の人材を招いたのは恵慈が優れた人物だったからでしょうし、来日後20年にわたって聖徳太子を支え、帰国しました。中心は仏教でしたが、当時の僧侶は仏教以外の様々な知識や技術を持ち、飛鳥時代の歴史におおきく貢献します。狛長者もそうですが、高句麗にもっと着目しなければと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.10.30 15:25:18
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