カテゴリ:詩、俳句、短歌、川柳、都都逸等
遠くにあるものは小さく見え、近くにあれば大きく見える。これは普段我われが経験していることですから、別段不思議なことではありませんね。 ところがその対象物が月となると、普段より大きい月が観測されるというのは、人の心に新鮮な驚きと感動を生じさせるものです。 ウエブトピックスより、 世界各地でスーパームーンを観測 巨大な?月が夜空を照らす 同時に配信されている写真を見ると、これは確かに大きい。スーパームーン(super moon)という言葉は正式な天文用語にはないということですが、これほど的確に事象を表現している言葉は他には見当たらないでしょう。 さて、太陽の周りを回る地球とその地球の周りを回る月の軌道上の位置によって、スーパームーンは周期的に観測されるわけですが、これは今に限ったことでなく銀河系に太陽とその惑星の地球、そしてその衛星である月が出来てよりこの方、繰り返されて来た天文学的事象であるわけで、有史以来の我々の先祖も月が明るく大きく見えることが繰り返されることを知っていたはずです。 それは日本でも同様であるはずなのに、日本人はなぜか月が大きく見えたり小さく見えたりすることにはあまり関心を払わなかった。むしろ月が満ちたり欠けたりすることに強い趣を抱いた。 それは月に関する言葉をあげてみてもわかりますね。「望月」「三日月」「十五夜」「十六夜(いざよい)」・・・。 これに対してスーパームーンをいう言葉はと探してみても、「大月(おおつき)」という表現にしてもはたして正しくスーパームーンのことを指しているのかというと、どうも怪しい。 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど と詠んだ古の歌人は、いかなる月を見て憂愁に沈んだのでしょうか。少なくともスーパームーンなどではなかったと思いたいものです。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年03月11日 11時50分05秒
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