カテゴリ:ひとり言
令和4年の新しい年が明けました。 皆さんは、初夢をご覧になられましたか。初夢といえば、一富士、ニ鷹、三なすびと言われていますが、これは何も縁起のいい夢の順番を言っているのではなく、この三つの夢のうち何れか一つでも見れたら、縁起が良いということだそうです。 ところで富士山といえば、 あたまを雲の 上に出し 四方の山を 見おろして かみなりさまを 下に聞く 富士は日本一の山 日本人なら誰しも口ずさむことができる文部省唱歌「ふじの山」を思い起こすことでしょう。ところがその富士山が日本一の山ではなかったと言えば、誰しもそんな馬鹿なと思われることでしょう。 少し古くなりますが、2013年5月2日の日経コラム"春秋"を読むと、この歌が発表された1911年当時は、富士山は日本一の山ではなかったと書かれています。 真相はこうです。皆さんは「新高山」をご存知でしょうか?ご存じない人でも「ニイタカヤマノボレ 一ニ〇八」は聞いたことはあるでしょう。 台湾の中央を南北に走る山脈の中南部に位置する「玉山」の標高は3,952m。「ふじの山」が尋常小学唱歌に載った1911年(明治44年)当時、台湾は日本領であったことから、標高3,776mの富士山は2番目に高い山であったというのが、コラム氏の茶目っ気たっぷりの主張。 日本統治時代に明治天皇により富士山よりも高い「新しい日本最高峰」の山という意味で、「新高山」と名づけられたというおまけまでついていました。 明治帝が新高山を「新しい日本最高峰の山」とおっしゃられたにもかかわらず、富士山が日本一の山であり続けたのは、日本人の心の中に昔も今も流麗にそびえ立ち続けているからと言えましょう。 ちなみに我が郷土富山県を代表する民謡・越中おわら節の合いの手(囃し)にも、富士山が出て来ます。 越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山 三国一だよ ここでも富士山は日本一だと言っていますね。郷土の立山を自慢しながらも、富士山は別格であると褒めるているところに、奥ゆかしい越中人の気質を見ることが出来ます。 ことほどさように日本人なら、富士山には切っても切れない格別の思いがあるといえましょう。 さて歴史を遡ると、下関講和会議により、台湾が日本に割譲されたのが1895年(明治28年)のこと。そしてこの唱歌が発表される前年の1910年(明治43年)には、日本は韓国を併合しています。 当時台湾や韓国でも日本と同じ教育制が引かれたわけだから、この文部省唱歌「ふじの山」は、台湾や韓国の子どもたちも尋常小学校で歌った(あるいは歌わされた)と想像されます。 我々は何の違和感もなく、「富士は日本一の山」と声を揃えますが、当時の台湾や韓国の人たちはどのような気持ちでこの歌を歌ったことだろうか。今日ただ今のわが国とお隣の友好国・韓国、さらにはその北に位置する半島の付け根にある国とのぎくしゃくした関係を思うとき、暗い気持ちに心が沈みます。 富士山も 玉山も 白頭山も 三国一だよ こんな合いの手を入れたいものです。 にほんブログ村 FC2ブログランキング 人気ブログランキング PINGOO! ノンジャンル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年01月02日 21時39分54秒
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