カテゴリ:ひとり言
私らは時の宰相がもはや戦後ではないと言い、この国が高度経済成長の坂道を一気に駆け登ろうとしたころに小学校に通った世代ですが、学校でも家庭でも「若い時の苦労は買ってでもせよ」と聞かされて育ちました。中学校に上がるころには、「艱難汝を玉にす」ということばの意味も理解できるようになっていたようでもあります。 確かに日ごろ生きていく中で困難な局面に遭遇したとしても、あの時今よりずっと苦しい局面を歯を食いしばって乗り越えたではないかと、自分自身を鼓舞して頑張るってこと、一度や二度ならずあったように記憶しています。 しかし、それはあくまで自分自身の経験を思い出してのこと。まさかそれが親の代の経験も関係しているかもしれないなどと、そんなことを考える人は誰もいないでしょう。 「親の因果が子に報う」という言葉は、どちらかといえば現生の不幸は前世での悪行が原因であるという仏教的な戒めの言葉と理解されますが、もし、親が苦難を乗り越えて獲得したストレスへの耐性や生き残る力が、子や孫にも引き継がれるとしたなら、まさしく「親の因果が子に報う」ということになりはしまいか。 ウエブトピックスより、 苦難越え得た能力、子孫にも継承 京大が線虫で確認 科学の世界では、実験の結果に10%~20%の差異があれば、そこには明らかにその差異が生じる原因があると考えるのが一般的ですから、親の因果(ストレス)がその代だけでなく子孫にも報いた(ストレス耐性の獲得)と考えたくなります。 線虫でそうであるならば、人間でもと思いたくなるのが人情。果たしてこの研究結果は、ヒトの環境への適応力を子孫に継承するという種の生存戦略への応用につながるものでしょうか? 私のような意気地なしでさえ、人生の困難な局面に出くわしたとき、「艱難汝を玉にす」と己に言い聞かせるのは、今は苦しくともこの難局を乗り越えれば、明るい未来が必ずやって来る、必ず展望は開けると信じるからでしょう。しかし、今の苦労が子や孫の代になって報われるというのは、あまりに切ないというものではありませんか。 「禍福は糾える縄のごとし」という諺もありますね。これは幸福な現況に甘んじることを戒めるという意味もありましょうが、どちらかといえば不幸な境遇にあっても、やがて必ず幸福がやって来るという希望的な意味合いのことばと解釈するのが一般的です。しかし、その周期までは言及していないことに、私は今気づき愕然としています。 その周期は長くてもせいぜい10年、20年のことであろうと思ってきたのでしたが、もしかしたら50年、60年、いや100年、200年待たなければならないということもあるのだろうか? ・・・いかん、いかん。ものを悲観的に考え出すと、負のスパイラルに巻き込まれて奈落の底に落ちてしまうとは、このことではないか。 人生に困難はつきもの。辛いにはこの上なく辛いですが、後世(子や孫の世代)になってそれが報われるというのなら、結果多いに良しとしたものではないですか。線虫を習ってじっと耐え忍ぶとしましょうか。(苦笑! 古の中国の賢人は、同じ「禍福」を使ってこうも教えてくれています。 「意之所存、便為禍福」(意の存する所は、すなわち禍福となる) 幸も不幸も心の持ち方次第であると。・・・しかし、辛いなぁ~。(苦笑! にほんブログ村 FC2ブログランキング 人気ブログランキング PINGOO! ノンジャンル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年01月06日 11時50分05秒
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