カテゴリ:酒
古より酒にまつわるエピソードとなると、数限りなくあげることができますね。その多くは酒の席に絡む失敗談ということになりましょうが、どういうわけか我が国では、節度ある飲酒を守ろうとする常識人を冷ややかに見下す風潮があった。 たとえしこたまに飲んでへべれけに酔っぱらったあげくに、致命的な失敗を犯したとしても、「酒のうえのことではないか。水に流してやれ」などと、ことを荒立てようとしないで来たのが日本人というものでした。 時代劇などでは、上座に座った殿様が「今宵は無礼講じゃ。存分に過ごすがよい」などと、上機嫌で言う酒宴のシーンをよく目にします。下座に居並ぶ家臣たちが「ははっ」と声を揃えて頭を下げながら、左右の同僚とニヤリと目を合わせるというシーンですよ。 酒を飲む前から、酒を飲んで無礼をはたらいても許すというのですから、このような飲酒の文化は外国人には理解しがたいのではないか。我が国だけに見られるユニークな文化ではないかと、私などは一人でニヤリとほくそ笑んでいます。 しかし、酒を飲んだうえのこととはいえ、こんな大失敗をした有名な殿様が一人いますね。 酒は呑め呑め呑むならば♪ 日の本一のこの槍を♪ 呑みとるほどに呑むならば♪ これぞまことの黒田武士♪ 日本人であれば、たとえ酒を飲まぬ人であっても、福岡県に伝わる民謡・黒田節のこの文句を知らぬ人はいないでしょう。 失敗した殿様とは、大酒飲みで名をはせた戦国武将・福島正則。確かNHKの大河ドラマ(どのシリーズであったか忘れましたが)でも取り上げられていたと記憶しています。 あるとき豊臣秀吉恩顧の武将・黒田長政が同僚の福島正則のもとに、家臣の母里友信を使いに出した。友信もまた酒好きであることを知っていた長政は、正則から酒を勧められても決して飲んではならぬと厳命したのであったが。 はたして友信が正則の前に進むと、案の定正則はしこたま酔っぱらっていて、しきりに友信に酒を勧めるではないか。主の命をかたくなに守って固辞する友信の前に、正則は巨大な盃になみなみと酒を注がせ、「黒田の家中の者は、これしきの酒も飲めぬというか。これを飲み干せば、何でもその方の望むものを褒美として取らすというに」と、口を滑らせてしまった。 「殿(長政のこと)、お許しくださいませ」と、心に念ずるや一息にその大杯を飲み干した友信は、褒美に正則が秀吉から下賜された自慢の槍をせしめたという逸話。 あっぱれな飲みっぷりを披露した母里友信は、黒田節に歌われた文句とともに歴史に名を残すことになりましたが、私の考えは少しばかり違っています。 天下人・秀吉から下された槍を別の者に褒美として与えたというようなことが、秀吉に聞こえたとしたら、まず切腹間違いなしとしたものでしょう。「これは酒のうえでのことでございますから、ご容赦くださりませ」などとは言っておられませんね。しかし、その後福島正則は、二度にわたる朝鮮の役、関ヶ原の合戦を生き抜き、江戸時代には安芸五十万石の太守に納まっている。 槍のことが秀吉に届いていないことなどまずないと考えられますから、この故事はある意味秀吉の器量の大きさ、懐の深さを際立たせているといえましょう。 「なに、そのようなことがあったと。たわけめ。・・・よい、よい。正則めには、以後酒を慎めと申し伝えよ」 秀吉の高笑いが聞こえてくるようではありませんか。 にほんブログ村 FC2ブログランキング 人気ブログランキング PINGOO! ノンジャンル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年02月10日 06時35分52秒
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