カテゴリ:そばの雑学
「そば」について語ろうとするとき、どうしても「二八そば」を省略することは出来ませんね。 なぜ「そば」の頭に「二八」とつくのか。所説いろいろある中で、そば粉とつなぎの小麦粉の比率からきているというものと、当時のそばの値段十六文からきているというものが最も有力であろうことは、素人目に見ても容易に想像できます。 まず、そば粉とつなぎ粉の比率節から。 『蕎麦辞典』(植原路郎著 東京堂出版)によれば、「つなぎに小麦粉を用いることを知ったのは、寛永年間奈良東大寺へ来た朝鮮の僧侶元珍という説がある」と書いてあります。それまでは、生粉(そば粉だけのことをさす)で打っていたと思われます。 「小麦粉はそば粉よりも原価が高かったという今日とは逆の現象だったので、小麦粉の使用に考えが及ばなかったのであろう」とも書かれています。日ごろ麺の製造に携わっている私から見ても、なるほどもっともなこととうなずけます。 さて寛永年間といえば、1624年から1644年までの20年間。家康が江戸に幕府を開いたのが1603年、秀忠に将軍を譲り駿府に隠居したのが1605年のこと。その秀忠のあとを受けて家光が三代将軍についたのが1623年。それから1653年までが家光の時代ですから、まさに家康から三代経て、もはや徳川に弓槍を向ける者がいなくなった時代に、広くそばが食べられるようになったことがうかがえます。 需要が増加すれば供給を増やさなければならないのは、江戸時代にあっても経済の大原則。そば粉だけで打つそばは、どうしても生地がつながりにくくボソボソと切れやすい。小麦粉をつなぎに用いれば、小麦粉のグルテンの作用でしっかりとつながる生地になる。生産効率の面からも見ても理にかなった打ち方と言えるわけです。 そこで小麦粉二、そば粉八の割合でそばを打つと、上手に打てる。これが「二八そば」と呼ばれる所以というわけです。 ところが「二八」という文言は、そばだけに限らずうどんにも使われており、「二八うどん」というものがあったという文献も散見されるということですから、小麦粉だけを使って打つうどんのことを考えると、そば粉とつなぎ粉の比率説は、根拠を失ってしまう。 やはり、「二八の十六文」の値段説ということになるのでしょうか? にほんブログ村 FC2ブログランキング 人気ブログランキング PINGOO! ノンジャンル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年04月26日 11時50分04秒
|
|