カテゴリ:そばの雑学
「そば」について語ろうとするとき、どうしても「二八そば」を省略することは出来ませんね。 なぜ「そば」の頭に「二八」とつくのか。所説いろいろある中で、そば粉とつなぎの小麦粉の比率からきているというものと、当時のそばの値段十六文からきているというものが最も有力であろうことは、素人目に見ても容易に想像できます。 そこで昨日は小麦粉とそば粉の比率説を検証してみたのですが、どうも満足のいく答えは見いだせなかった。 やはり、「二八の十六文」というそばの値段説ということになるのでしょうか。検証してみました。 当時の日本は世界でも類を見ない教育国。識字率も非常に高く、九九などは寺子屋に通う子供ならみなそらんじていたと言われています。仮に知らない人がいたとしても、「二八の十六文」はひじょうにごろがよい。 粋がって洒落たもの言いを好んだという江戸人のことですから、そば一杯十六文とわかりきっていても、 「おうっ、オヤジ、勘定はいくらでぇ~」 「へい、二八の十六文で」 なんて言わせて喜んでいたのでしょうね。 しかし、江戸時代の『衣食住記』という文献の中に、享保年間に「神田辺にて二八即座けんどんといふ看板を出す」という記述がみられるそうですから、享保年間といえば、1716年から1736年のこと。それ以前の寛永年間では、一杯八文から十二文に移行するころであったろう。「二八」は早くても元禄年間(1688年~1704年)になってから定着したのではないかという説もあるのです。 そうすれば、蕎麦屋のオヤジに勘定を問うて、「へい、二八の十六文で」と言わせるには、一杯八文のそばを二杯食べなければならないということになります。そばの値段説もまた根拠が揺らいで来るのでした。 ここは不遜ながら「そば博士」と自称する私としては、揺るぎない「二八そば」の根拠を示さなければならないとしたものですが、いくら文献を探ろうとも、これだという確固たるものに出会ったためしはありません。 しかし、古今「二八そば」の由来などを探ろうという人は、みな無類のそば好きであろうということだけは、間違いのないことと断言できましょう。 にほんブログ村 FC2ブログランキング 人気ブログランキング PINGOO! ノンジャンル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年04月27日 11時50分05秒
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