カテゴリ:ユーモア
時代劇の捕り物帳などを見ると、東海道を逃げ延びようとする賊を品川宿の一歩手前に設けられた高輪の大木戸で捕まるというシーンに出くわすことがあります。これが甲州街道になれば、内藤新宿。中山道となれば板橋宿ということになりますね。 品川、新宿、板橋といえば、今でこそ大都市東京を構成する巨大な街のひとつですが、江戸時代では各街道の最初の宿場町であったことからも、すでに江戸ではなかったということがうかがい知れます。 「何としても御府内で召し獲れ」と与力、同心が岡っ引きの尻を急かすのは、町方の力が及ぶのは江戸府内に限られていたから。賊にしてみれば大木戸の外に出てしまえば、町方にお縄にされることがなかった。「ここは江戸ではござんせん。お支配違いですぜぃ!」と啖呵が切れた。 まあ、これは賊と町方の間の特殊事情のことです。東海道でいえば、昔の一般の旅人は、経済的に恵まれていれば、親族・知人らが品川まで同行して一泊。品川の宿で別れの宴を持つのが普通だったとか。 ではそんな余裕のなかった庶民はどうしたか?まず品川で宿をとることはなかった。 日本人なら誰でも知っている童謡「お江戸日本橋」は、 「お江戸日本橋 七つ立ち~♪」 で始まっていますね。 旅程を少しでも稼ごうと、世も明けやらぬ七つ(午前4時ころ)に旅の基点日本橋を出発したと歌っています。それでは品川にはいつごろに着いたかというと、後に続く歌詞を見れば直ぐ分かります。 「こちゃ高輪、夜明けて提灯消す~♪」 品川の一歩手前の高輪辺りで、夜が明けて来た(午前6時ころか?)ので、提灯の火を消したと言っていますね。 日本橋から高輪まで夜道を一時(2時間あまり)かけて、提灯の灯りを頼りに歩いたことが分かります。 現代にもどって、JR東海道新幹線の時刻表を見ると、東京駅始発下り特急”のぞみ”1号は、午前6時発。その6分後の6時6分に品川着。6時7分には品川発となっています。 してみれば、昔の旅人が品川の手前高輪辺りで提灯を消そうかとためらっているころには、現代人はすでに品川を出立していることになりますね。 昔の盗賊にしてみれば、7分で高輪どころか品川を抜けることが出来るわけですから、こんな都合のいい乗り物はないということになりますかね。高輪の大木戸で地団駄を踏む町方をしり目に、「あばよ」というわけです。銭形平次にしても、銭を投げても届きようがないですもの。(笑! にほんブログ村 FC2ブログランキング 人気ブログランキング PINGOO! ノンジャンル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年08月02日 11時50分06秒
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