カテゴリ:ひとり言
昨今は、メールだのラインだのと何でもすぐに携帯やスマホを使って連絡を取り合う時代となり、手紙をしたためるということが少なくなって来ましたが、それでも改まって手紙を書くということがまったくなくなったわけではありませんね。 定型のように書かれる冒頭の時候のあいさつ文ひとつとっても、相手を気遣う繊細な気持ちがくみ取れるのは、日本の手紙ならではといえましょう。 今の季節なら、 「雨に濡れた紫陽花がよりいっそう輝いて見える今日この頃、・・・」 「朝顔市の季節となりました。・・・」 と書いてあるだけで、書き手の温かい気持ちが伝わり、読み手の心が和みますね。 私なら、「ビールがおいしい季節になってまいりました。・・・」などと書いて、ひんしゅくを買いそうですが・・・。(笑! 南北に長い日本列島に住む我々日本人は、めぐり来る四季の移ろいにとりわけ敏感な民族といえますが、季節に敏感なのは、何も人間に限ったことではなかったという話題。 ウエブトピックスより 魚も季節の移ろい感知、名古屋大研究グループ発表 記事によれば、鳥類や哺乳類など、決まった季節に繁殖期を迎える動物は、脳の中に季節を感じるセンサーがあるのだそうですね。日照の変化を感じ取ると「春告げホルモン」の分泌が促進され、生殖遺伝子が働き出す仕組みが確認されたということです。 ・・・ほぉ~、「春告げホルモン」とな。 人間も哺乳類ですから、やはりセンサーなるものがあるのでしょうね。私に「ビールがおいしい季節になってまいりました・・・」などと手紙を書かせたりするのは、やはりそのセンサーが働いているからでしょう。しかし、とんとムラムラとした野生的な気落ちが湧き起こらなくなったのはどうしたことだ?(笑! 人間は決まった季節に繁殖する動物ではないようですから、魚にまであるというセンサーと季節感の関係は、人間の場合必ずしも当たらないということでしょうか。・・・いや、どうやら単に生物的な生殖年齢を過ぎてしまっただけということらしい。(涙! その代わり季節の移ろいが今までよりずっと美しく感じられるようになりましたね。 一般に生物は自分の遺伝子を残す作業を終えれば、一生を閉じてしまう種が多く見られます。魚類では鮭がそうですね。川をさかのぼって産卵を終えると力尽きて死んでしまう。昆虫のオスに至っては、カマキリに代表されるがごとくその最中にメスに食われて死んでしまう種さえいます。 ヒトのように生殖・子育てという生物としての使命ともいえる大仕事を終えてからさらに20年も30年も生きるという種の存在は、数ある生物の中でも珍しいのではないかと俄か生物学者( → 私のことです)は考えを巡らしています。 これを余生と言ってしまえば、何やら切ない気もしますが、我々中高年族は天からヒト科ヒト族にのみ与えられたこの特権を大いに享受すべきであるとしたものでしょう。 ふ~む、残された20年ですか。なるほど、季節の移ろいに趣を見出すというのも確かに一興かもしれませんね。 ・・・とはいうものの、正直に心中を吐露すれば、やはりムラムラの方にも少なからず未練が残っていないとは言えなくもない。( ← イエローカード! 爆笑! 「酒とそばと」幻冬舎から好評発売中この度幻冬舎さんのご協力を得て、拙著『「酒」と「そば」と』を出版しました。このブログの酒とそばについて書いたものを加筆修正したものです。肩肘張らずに気軽にお読みいただけるエッセイ集です。 まず「はじめに」から、書店での立ち読み気分をお味わいください。 はじめに 小粋な蕎麦屋に入って、いきなり「天婦羅そばを一つ」なんて注文するのは、いただけませんな。まあ、うどん屋に入ったわけじゃないのだから、蕎麦屋に入ってそばを注文して何が悪いということになるのでしょうけれど。しかし、もしあなたが「そば通」と呼ばれたいのなら、そして真の「酒飲み」と呼ばれたいのなら、カウンターに座ってまずは厨房からこちらの様子を眼光鋭くうかがういかにも頑固そうな店主の視線を浴びながらも、店の雰囲気をしばし味わうようなそぶりを見せてから、おもむろにこのように言ってみたいもの。 「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」 そんな古き良き時代の蕎麦屋の流儀なるものについて書かれた本を、書店で目にしたことがありました。私がまだ高校に上がったばかりのころだったでしょうか。 ほぉ~、蕎麦屋とは、まず酒を飲むところだというのか。俺もやがて蕎麦屋へ入ることがあったら、そんなセリフを吐いてみたいものだと思ったものでした。 ・・・あれから五十年、何の因果か製麺業を営むことになった私は、その蕎麦屋へそばを納めに行っては、「毎度ありがとうございます。今日から新そばで打ってあります」などと言うことはあっても、「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」などと言ったためしが久しくなかったことに今さらながら気づき、失望に打ちひしがれています。 日々仕事に追われながらも、いつかきっとそんな至高の悦楽を味わうことができる日の来ることを夢見て、「酒」と「そば」のうんちくを秘かに温めていると、驚いたことにこれはこれで楽しいではありませんか。 そのささやかな楽しみの一端を披露して、世の酒好き、そば好きといわれる皆さんと喜びを分かち合うことができれば幸せと、ペンを執った次第です。 「酒」と「そば」、二編に分けてご紹介していきましょう。 まずは「酒」編より、人は何故酒を飲むのでしょうか? 第一部「酒」編 「過ぎたるは及ばざるがごとし」 古来より「酒は百薬の長」といいます。実にいい響きを持ったことばですな。私は常々この心地良い響きを妻に言って聞かせるのですが、妻は私にこう言うではありませんか。 「あら、そういうものですか。では『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』って、どのように響きになって?」と。 このほど世界保健機関(WHO)が発表したところによると、2016年に世界で死亡した人のうち約三百万人が、飲酒関連が原因と考えられるということです。「酒は百薬の長」とも語り継がれているのに、これほど多くの人が、飲酒が原因で命を落としているということは、これはやはり飲み過ぎたから、ということになるのでしょうか。 大雑把な計算になりますが、世界の人口を約七十億として、アルコールを摂取する人の数を約半数と考えれば、35億。 3,000,000 ÷ 3,500,000,000 = 0.086% という計算になりますから、なんだ、酒飲みの千人のうちの一人以下じゃないかと胸を撫で下ろした愛飲家の方、多いのではないでしょうか? しかしながら、どうしても気になるのは、どれだけ飲めば「過ぎたる組」になるのかということ。WHOの定義によれば、大量機会飲酒とは純アルコール換算で60グラム以上の飲酒機会を30日に一回以上持つことと書いてあります。そこで早速調べてみました。エチルアルコールの密度は、0.789g/ml ですから、 60 ÷ 0.789 = 76 ml、ビールのアルコール度数は、概ね5%と考えれば、 76 ÷ 5% = 1,520mlビール大瓶(633ml)二本半という計算になります。同様に清酒のアルコール度数を15%として計算すると、2.8合。 すなわちビールなら三本、清酒なら三合をひと月に一回でも飲む機会があれば、WHOは大量機会飲酒と定めているということになります。 確かにわが国はWHOに加盟しているかもしれないが、私個人はWHOになど加盟していないと主張する人もいるでしょう。見上げた心意気と拍手喝采を送りたいところではありますが、清酒三合以上を飲んだ翌朝のことを常々経験している者からすれば、やはりそうであったかとうなだれるしかありませんね。 あなたはうなだれる口ですか、それとも清酒三合ぐらいではうなだれませんと豪語する口ですか? う~む、古来より語り継がれてきたことわざ「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」とは、なるほど深い含蓄のあることばだと認めざるを得ません。 飲ん兵衛な製麺会社社長が綴る、クスっと笑える蘊蓄(うんちく)が満載。 酒の文化や歴史、あらゆる種類の「○○そば」の由来、偉人の逸話に至るまで。 世の酒好きとそば好きに贈ります。日本人たるもの、これを知らなきゃはじまらない。 ぜひご一読いただければ幸いに存じます。 にほんブログ村 FC2ブログランキング 人気ブログランキング PINGOO! ノンジャンル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年07月03日 11時50分07秒
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