カテゴリ:ひとり言
私らは戦後教育を受けて育った世代ですから、男女共学でしたが、一世代前の時代の小学校では、男女は同じ学校の敷地にはいても三年生以上はクラスが男女で分かれていた。 曰く「男女七歳にして席を同じゅうせず」と。 紀元前の中国の賢人の教えを、わが国では昭和の御代(19世紀前半)になっても忠実に守っていたことになるわけですが、それが経典に書かれている文言を誤訳していたことにもとずくとしたなら、ちょっと拍子抜けがします。 漢字学者阿辻哲司著「遊遊漢字学」によれば、「席」という字を文字通り「座席」と解釈したがためにそのようなことになったと書かれています。 問題の文章は「六歳になったら子供に数と方角を教えなさい」、七歳になったら「席を同じゅうせず」と続き、十歳になったら「学校に行かせなさい」と書かれているのだとか。 これは六歳から十歳までの家庭における子供の育て方を諭したもので、男女は別々のところで学ばせろとは一言もいっていない。なぜならこの文章では七歳の子供はまだ学校に入っていないのだからと。 「席」は本来「敷物・ゴザ」を表す文字であり、ここでは「ふとん」という意味で使われていた。つまり、男の子と女の子は七歳になったら同じ「ふとん」に寝かせてはいけないという意味なのだと。 七歳ともなればそろそろ性に関しても初歩的な知識と関心が芽生えだすころであるから、別々の「ふとん」を用意しなさいって、なるほど至極ごもっとも。 孔子は何も難しいことを説いていたわけではなかった。(笑! しかし、わが身をひるがえってみると、私は中学に入るまで、しばしば母親や祖母のふとんに潜り込んで一緒に寝ていた覚えがありますぞ。 孔子の教えからすれば、わが家では子どもの初歩的な家庭での躾からして間違っていたということになりましょうが、そのような環境で育った私は、やがて男女共学の学校に上がり、きわめて優秀とは言えないまでも、ごく普通に成長したことを思えば、何事にも例外はつきもの、「男女七歳にして・・・」の教えは、晩熟(おくて)の子ども( ← 私のことです)には当たらないのかもしれないなどと愚考しています。(爆笑! 「酒とそばと」幻冬舎から好評発売中この度幻冬舎さんのご協力を得て、拙著『「酒」と「そば」と』を出版しました。このブログの酒とそばについて書いたものを加筆修正したものです。肩肘張らずに気軽にお読みいただけるエッセイ集です。 ![]() まず「はじめに」から、書店での立ち読み気分をお味わいください。 はじめに 小粋な蕎麦屋に入って、いきなり「天婦羅そばを一つ」なんて注文するのは、いただけませんな。まあ、うどん屋に入ったわけじゃないのだから、蕎麦屋に入ってそばを注文して何が悪いということになるのでしょうけれど。しかし、もしあなたが「そば通」と呼ばれたいのなら、そして真の「酒飲み」と呼ばれたいのなら、カウンターに座ってまずは厨房からこちらの様子を眼光鋭くうかがういかにも頑固そうな店主の視線を浴びながらも、店の雰囲気をしばし味わうようなそぶりを見せてから、おもむろにこのように言ってみたいもの。 「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」 そんな古き良き時代の蕎麦屋の流儀なるものについて書かれた本を、書店で目にしたことがありました。私がまだ高校に上がったばかりのころだったでしょうか。 ほぉ~、蕎麦屋とは、まず酒を飲むところだというのか。俺もやがて蕎麦屋へ入ることがあったら、そんなセリフを吐いてみたいものだと思ったものでした。 ・・・あれから五十年、何の因果か製麺業を営むことになった私は、その蕎麦屋へそばを納めに行っては、「毎度ありがとうございます。今日から新そばで打ってあります」などと言うことはあっても、「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」などと言ったためしが久しくなかったことに今さらながら気づき、失望に打ちひしがれています。 日々仕事に追われながらも、いつかきっとそんな至高の悦楽を味わうことができる日の来ることを夢見て、「酒」と「そば」のうんちくを秘かに温めていると、驚いたことにこれはこれで楽しいではありませんか。 そのささやかな楽しみの一端を披露して、世の酒好き、そば好きといわれる皆さんと喜びを分かち合うことができれば幸せと、ペンを執った次第です。 「酒」と「そば」、二編に分けてご紹介していきましょう。 まずは「酒」編より、人は何故酒を飲むのでしょうか? 第一部「酒」編 「過ぎたるは及ばざるがごとし」 古来より「酒は百薬の長」といいます。実にいい響きを持ったことばですな。私は常々この心地良い響きを妻に言って聞かせるのですが、妻は私にこう言うではありませんか。 「あら、そういうものですか。では『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』って、どのように響きになって?」と。 このほど世界保健機関(WHO)が発表したところによると、2016年に世界で死亡した人のうち約三百万人が、飲酒関連が原因と考えられるということです。「酒は百薬の長」とも語り継がれているのに、これほど多くの人が、飲酒が原因で命を落としているということは、これはやはり飲み過ぎたから、ということになるのでしょうか。 大雑把な計算になりますが、世界の人口を約七十億として、アルコールを摂取する人の数を約半数と考えれば、35億。 3,000,000 ÷ 3,500,000,000 = 0.086% という計算になりますから、なんだ、酒飲みの千人のうちの一人以下じゃないかと胸を撫で下ろした愛飲家の方、多いのではないでしょうか? しかしながら、どうしても気になるのは、どれだけ飲めば「過ぎたる組」になるのかということ。WHOの定義によれば、大量機会飲酒とは純アルコール換算で60グラム以上の飲酒機会を30日に一回以上持つことと書いてあります。そこで早速調べてみました。エチルアルコールの密度は、0.789g/ml ですから、 60 ÷ 0.789 = 76 ml、ビールのアルコール度数は、概ね5%と考えれば、 76 ÷ 5% = 1,520mlビール大瓶(633ml)二本半という計算になります。同様に清酒のアルコール度数を15%として計算すると、2.8合。 すなわちビールなら三本、清酒なら三合をひと月に一回でも飲む機会があれば、WHOは大量機会飲酒と定めているということになります。 確かにわが国はWHOに加盟しているかもしれないが、私個人はWHOになど加盟していないと主張する人もいるでしょう。見上げた心意気と拍手喝采を送りたいところではありますが、清酒三合以上を飲んだ翌朝のことを常々経験している者からすれば、やはりそうであったかとうなだれるしかありませんね。 あなたはうなだれる口ですか、それとも清酒三合ぐらいではうなだれませんと豪語する口ですか? う~む、古来より語り継がれてきたことわざ「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」とは、なるほど深い含蓄のあることばだと認めざるを得ません。 飲ん兵衛な製麺会社社長が綴る、クスっと笑える蘊蓄(うんちく)が満載。 酒の文化や歴史、あらゆる種類の「○○そば」の由来、偉人の逸話に至るまで。 世の酒好きとそば好きに贈ります。日本人たるもの、これを知らなきゃはじまらない。 ぜひご一読いただければ幸いに存じます。 ![]() ![]() にほんブログ村 ![]() FC2ブログランキング ![]() 人気ブログランキング ![]() PINGOO! ノンジャンル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年06月26日 17時08分09秒
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