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2006年05月26日
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カテゴリ:家族
5月10日。実父は、自分の病気を知る余地もなく、旅立っていった。
4月下旬から、食欲もなく、ベット上で、胸痛と戦っていた。
5月8日の夜。意識レベルも低下し、
これまでの痛みがどこかに飛び去り、深い眠りについた様な安楽な表情だった。
そして、10日未明、私の付き添いのもと、徐々に脈も、微弱になり、
意識も戻ることなく、新たな旅に出発したのでした。

直接死因『癌性心外膜炎』

私たち家族へ、究極の選択が突きつけられた。
まずは、延命処置。
処置しても、一時的なもので、良くなることはないと、
説明を受けた。
処置しないと言うことは、見捨てるようで、嫌だった。
また、せっかく安らかな表情をしているのに、
気管チューブや、レスピレーターを装着し、
これ以上痛々しい姿に、させたくなかった。
結局、母と弟と相談し、後記を選択した。
はっきり言って、ほんと難しい選択だった。
今でも、果たしてこれで良かったのかと、疑問に思う。

そして、もうひとつ。
死体解剖。
最初、はっきりした原因を知りたい場合は、解剖をして・・と、
先生は、言い出した。
弟は、『これ以上、痛めつけて欲しくない。
すぐに、自宅に、戻したい。』と言う。
しかし、私は、父の本当の死因を知りたかった。
でも、弟の言ってることも、納得する。
すると、先生、
『これからの患者さんのためにも、解剖させて欲しい』
と、頭を下げてきた。
私としては、私の勤務していた病院であるし、
医療従事者として、父の解剖によって、
これからの患者さんの治療に役立つのであれば、協力したかった。
また、死因を明確にして欲しかった。
弟も、何とか、納得したのであった。

解剖の結果は、
『心外膜腫瘍、心筋内へ浸潤。左癌性胸膜炎、両側肺水腫、
胸膜プラーク(アスベスト等による胸膜肥厚班)』
詳しくは、病理検査中である。


思えば、
亡くなる数日前、頑固で、ありがとうの言葉も言った事のない父が、
『毎日、たいへんだな。ありがとう・・・』と、言ったり、
入院中、母に泊まって欲しいなんて言った事なかったのに、
意識の無くなる夜に、泊まって欲しいと、言ったり、
むせりながら、飲んでいた水も、
その夜に、私に要求し、安易に飲用し、母が、ビックリしていた事など、
頭の中を過る。

ただただ後悔することは、
看護師である私が、看護を父にしてあげられなかった事。
そして、何の親孝行もできなかったこと。
母に任せきりにせず、仕事を休んで、看病すべきだった。
こんなに、急展開するなんて・・・・・
でも、父は、母に毎日付き添ってもらっていたことは、
幸せだったと思う。

父の葬儀の1週間後、
私の、先月の注腸造影の結果説明と、腫瘍マーカーの再検だった。












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最終更新日  2006年05月27日 00時58分19秒
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