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カテゴリ:つれづれ
日曜日20:00から大河ドラマ江を見ていました。 そんなに集中してみていたわけでなく、PCをつつきながら てきとうに。 すると、なぜだか韓国語が 朝鮮から、太閤になった秀吉への祝賀と偵察を兼ねた 通信使がやってきたのですね
普段、韓国の時代劇を見まくっているので、リスニングはお手の物。 相変わらずながらで見てたので途中で気がついたのですが、字幕が 入っていました。 当たり前ですね
通信使は赤い服が2人、青い服が1人、後ろ側に武官と対馬の通訳。 ここでいつもの分析がはじまりました。 ふむふむ。 2つおかしいところを発見
まず一つ目。 これは簡単。 赤い服の一人にあごひげがありません。 宦官ですか???
2つ目はマニアック。 気がついた人が入れば相当な韓国歴史通です。
ここで、前提となるおはなしをしましょう。 今回出てきた3人。誰だったのかわかってます。 というのも、この秀吉との謁見の2年後1592年には日本では 文禄の役と呼ばれる 壬辰倭乱(イムジンウェラン)があり この3人の侵略の有無に関する報告が 後世までも伝えられている からです。
では、ひとりずつ説明していきましょう。
正使:黄允吉(ファン・ユンギル) 西人(ソイン)に所属 彼は朝鮮王朝で最も有名な宰相黄喜(ファン・ヒ)の5代孫。 名家の出身です。 この時の役職が僉知中樞府事(チョムジヂュンチュブサ) 正3品堂上官(タンサングァン)です。
ちょっと脱線しますが黄喜(ファン・ヒ)について。 このドラマ見たことありますか?
寵愛され要職を歴任しました。 世宗大王は兄の譲寧大君(ヤンニョンテグン)が王世子を廃されたため、新たな 世継ぎとなり即位したのですが、最後まで譲寧大君を擁護したために流刑になった のがこの黄喜です。
けれども、ある意味政敵であった黄喜を世宗大王は再び登用し、後年には宰相を 任せました。 その後、第5代文宗、第6代端宗の御代でも宰相を歴任し、実に18年間ものあいだ トップで在り続けました。 最年長かつ最長期間記録を持つ大宰相です。
福使:金誠一(キム・ソンイル)東人(トンイン)に所属 成均館(ソンギュンガン)の司成(サソン) 従3品堂下官(タンハグァン) 成均館といえば、JYJのユチョンが出演したこのドラマで日本でも有名になりましたが 朝鮮王朝の教育機関として、韓ドラマニアなら知ってますよね! ムービーあります↑
書状官(ソジョングァン):許筬(ホ・ソン) 東人(トンイン) 成均館の典籍(チョンジョン) 正6品堂下官(タンハグァン) 彼よりも弟や親戚が有名です。 彼の弟で当時の改革派で自由な心を持った天才許?(ホ・ギュン)や妹で詩人として 中国や日本でも有名になった許蘭説軒(ホナンソロン)がいます。 また、朝鮮王朝で最も有名で最も出世した医官許浚(ホ・ジュン)は親戚です。
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Last updated
2011.06.29 06:30:12
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