実学主義な教育の方がいいのかね~
バンコクにいるときにネパーリーの友達と話をしていて、実感せずに入られないのが、日本との教育の質の差。先日もある機会に『アルフレート・ヴェーゲナーの大陸移動説』について話をふったのだけれど、揃いも揃って全員がなにそれ?初めて聞いたとの返答。アンタたちの里(ヒマラヤ)はインドがぶつかって隆起した場所でしょ?なんでネパールにコーラル(珊瑚)があんだよ?と問いかけると、それはなんとなく知ってるっぽかった。翌日、ナコンパトムのチェディーに隣接している博物館に行った時のこと。世界地図が貼ってあって、それぞれの出身国を探し当てて「ココダ、ココダ」って騒いでいたとき、ある一人が「グリーンランドでけー」と、感心しきっていました。サクサクが「実際はもっと小さいじゃん」というと、またまた揃いも揃って全員がなんで?と?な顔色。だってメルカトル図法の地図では高緯度の面積は実際より大きく表されてるじゃん。と説明するとなにそれ?初めて聞いたとの返答。日本人のサクサクと彼らとの差はなんでしょう?頭脳の差?はっきり言ってそれはないです。人種による能力の差なんてそんなにはないです。もちろん特徴は違っていて、日本人は英語に象徴されるように、小難しい文章の読解が比較的得意なように、持久力のある脳の使い方に長けている気がします。逆に彼らは瞬発力に長けている感じかな~。みんなやたらと言葉を覚えるのが早いし、4・5ヶ国語できたりするし。結局のところ、発展途上国の学校教育は、先進国より実学主義的で、高校を卒業したら飯が食えることを目標にカリキュラムが設定されているのです。英語についても、外貨獲得のための必須条件だから、高校卒業レベルで普通に会話ができるレベルが設定されています。先述したように人種による能力の差なんてそんなにはないです。各国の個々の能力は玉石混交で、優秀な人はどこにでもいて、バカもどこにでもいるんです。記憶容量もそんなに変わらないだろうし、スピードもそんなに変わらないんです。要はどんなトレーニングを積んだかで、脳内にメモリーされた内容が違うわけです。だから彼らと付き合っていて、言語関連の能力は「スゲ~」と思う反面、知識全般としてはイケてないと思うのです。彼らはサクサクに大して真逆のイメージを持っていると思います。教育を語る上で「日本人は英語ができない」ということがクローズアップされます。実際、東証がアジアの優に慣れないのもコレが原因と言われているから、けっこうなディスアドバンテージなわけです。結局なにを選択して脳内に留めるかで大きく変わってしまうと思うんですよ。大陸移動説やメルカトル図法なんて勉強せずに、徹底的に英会話の訓練をすれば、訛りはあっても話せるようになるんじゃないかと。それによって失うものも大きそうなので文科省も踏み込めないんでしょうね。サクサクもそのあたりはよくわかりません。それで、いつも思うのだけど、日本内シンガポールを作るのってどうでしょう?国内で影の薄い島根と鳥取あたりを実験的に超英語特区にして、シンガポール並みに英語教育を充実させるのです。もちろん、社会システムもシンガポールのように構築し直します。選択と集中を露骨なまでに徹底させるのです。うまく行けば日の目を見なかったこの両県にスポットライトが当たるし、もしダメでも国内的にダメージが少ないし。(両県の皆さんごめんね)このぐらいガッツリした施策ってできないもんですかね?やるぞオラーってやっちゃえば面白いのにな~。なんだか取留めの無い文になっちゃった。