カテゴリ:信州と軽井沢
昨日までの3日間 暖かかったですね
20℃に達するところもあったようで、まるで初夏の陽気でした。 寒暖の差が激しいのが軽井沢。昼夜の温度差が20℃近くも あったりします。 来週は冬に逆戻りのようですから風邪など気をつけて下さいね。 さてさて、スケートセンターとしての紹介か迷いましたが 最近紹介ばかりの記事でしたので、自分の言葉で。 軽井沢スケートセンター http://www.princehotels.co.jp/skate/karuizawa/ (軽井沢千ヶ滝温泉ホテル) その 軽井沢スケートセンター と 軽井沢千ヶ滝温泉ホテル が 今月の3月31日のチェックアウトをもって営業が終了となります。 HPを改めてみると、開業が1977年なんですね。 ボクが1976年生まれですから、31年で幕を閉じることに。 ’83年の小1のスケート教室でたぶん初氷を踏んで、 ’85年小3から’89年中1の途中まで、冬はほぼ毎週土日、 まだ星空の広がる夜明け前から夕方まで スケートクラブの 練習に明け暮れていました。。 ですからボクが小学校の頃はこの 「スケートセンターホテル」 は ピカピカで、かっこいいオトナ(スポーツ選手や有名人が泊まって ました)がたくさん宿泊する一流のホテルのイメージがあって、 大人になってお金持ちになったら「あの浅間とスケートリンクが 見下ろせる綺麗な部屋に泊まるんだ!」 なんて憧れでもあったのです。 冬にはイベントホールでアイドルや有名人のコンサートがたくさん 開かれていました。 当時の信州っこにはとてつもなく遠い存在だったトウキョウという都会が、 この厳しく寒い冬にだけ (佐久の人間は夏の軽井沢は行くところじゃ ないというDNAが組み込まれているようです 華やかさの嫉妬かも) ちかくの軽井沢で感じることができる、擬似トウキョウ気分を味わえる 場所でもありました。 目的はスケートなのでホールのコンサートをちゃんと観たことなんて なかったんですが、それでも休憩中や移動中に、コンサートの準備で 芸能人が多くのスタッフに囲まれながら移動している姿を見かけると 「なんて華やかな人たちなんだ!」と浮かれて大騒ぎしちゃって、 学校に行ってスケートクラブに入っていない友達たちに 近くで観た芸能人 のことを毎回大げさに自慢していたものです。 嗚呼懐かしいな・・・ 浅間・蓼科・八ヶ岳・妙義の山に四方囲まれた佐久盆地は、大げさでなく トウキョウまで遠い場所であり存在だったのです。 その反動で、成人して東京まで自転車で行ったり歩いて帰ってみたり したくなったんですねー(笑) 幼少期にとことん鍛えられ、寒さが辛くて1度だけ泣いてしまったり、 異性を尊敬しちゃったり、見下ろす浅間の雄大さに「自然から力をもらう」 そんな感覚を初めて覚えたり、外にもたくさん想い出があるこの場所が・・・ 閉鎖されてしまう。 時代の流れで致し方ないことですが、最後の姿をココロに刻もうと 先週スケートに行ってきました。 軽井沢の氷に乗るのは、 実に20年ぶりのことでした。 なんて安定感ないノリモノなんだ!としばし呆然。。 こんなだったっけ?上京してもローラーブレードはたまにやっていたので 自信はあったんですけども、しばらくは氷の上で転倒を恐れて マリオネットのようにヘンな舞を踊っていました(笑) ちなみに靴は、スピードスケートのハーフサイズです。 当時憧れの中華料理「獅子」に大人になってひとりで入る。 いろんな意味で大人になったことの寂しさを覚えました。 ここも3月でクローズです。 食後に再度リンクへ。 今度はきっちりと紐を固く結び挑みました。 カラダが覚えているもんですね・・恐怖心が溶けエッジ(刃)の使い方に 慣れてくると、「デキるひとの滑り方・アウトエッジ走法」が戻ってきます。 何度も何度も滑り、踏みしめて滑り、食後は45分位リンクを周っていました。。 風越の室外リンクもアイスアリーナもありますので、スケートの灯火が断たれる 訳ではありませんが、一つの短い時代が幕を下ろすこのタイミングに もし軽井沢スケートセンターの記憶がある方には 最後のスケートとここの景色を記憶の上書き頂けると、 ここで育った軽井沢ファンとして嬉しいです。 ここから見上げる浅間山が一番好きだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 22, 2009 10:42:39 PM
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