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この日記は2009年3月に書きました。
色々と思うところがあり、UPしないまま下書きに置いてありましたが、気がつけば2009年2月1日から早くも1年。 今年の受験が終わる前にUPし、区切りとさせていただきます。 *** 終わってみると、受験自体はあっという間でした。うちの場合は準備期間が長すぎですけど(笑) 結局1月校含め4校に出願、1校追加出願準備の上で受験開始、いろはが一番行きたがっていた学校に合格して受験終了となりました。塾の仲間達は予想通り華々しい実績をあげ、学校のお友達もそれぞれに進学が決まった様子。 お世話になったNNに関しては先生も授業もとても良かったと思うのですが、熱望する子達との温度差(親にのせられて入ってみたものの、いろはは特に行きたくない)と、過去問にかける時間不足が理由で途中脱出。 親の方が少々未練がありましたが、本人は何の未練もなく。 その後、NNを忘れ去っていた受験当日に、いろはは他校の受験会場でNNで一緒だった子と居合わせました。お互い「なんでここに???」と目で訴えあい、言葉は交わさなかったそうですが、NNに在籍していたからと言って全員がその学校を受験するわけじゃないんですね。うちだけじゃなかった。脱出組なら当たり前か。いや、あちらも脱出組なのかは存じ上げませんが。 いろはには受験前のラストスパートはありませんでした。12月と1月は最後の追い込み予定でしたが、12月に風邪をひくわ怪我をするわ1月はインフルエンザにかかるわ、そのため多めに学校も塾も休ませたものの、特に家で勉強に打ち込むでもなく。 1月最後の数日は押さえ校の過去問と知識問題の確認程度で、あとはいろはの小さい頃のビデオを家族で見て大笑いしたりしてました。いろは父は「直前にバタバタしても無駄、必要な知識はもう頭の中にある(はず)。今までよくやったのだから当日受験会場に行ければそれでいい」という主義だったのでゆったり過ごしました。 いろはの第一志望校は、毎回80%出ていた学校です。試験終了後、「どうだった?」←よせばいいのに聞く私(汗)に、いろはは「すんごく頑張った、受かったと思う」と言って出て来ました。他の学校では「受かったと思う」とも「頑張った」とも言わなかったので、頑張ったのでしょうきっと。 結果が出るまで親の方が「普通に行けば受かるはず」「でもあの子は凡ミスをするから」「でも毎回テストでは8割出てたし」「だからこそ落ちた時はショックが大きいだろう」などと悶々、本人の方があっけらかんとしたものでした。 発表は一瞬。いろはが先に番号を見つけて「あった」「えっどこ」「ほらそこ」「あっほんと」あとは書類・手続き・塾への報告・両親への報告・学校への報告と怒涛のごとく。 いろははすっかり成長し、体つきが変わって身長は私と同じ、手の大きさも靴のサイズも越されてしまいました。それでも中身はあいかわらずアホなままで、夫の母と4人でババ抜きをしていて負けると、嘘泣きをしたりしています。 卒業式用のブレザースーツを着せてみると、中身の幼さとは裏腹に一見すっかり一人前に見えて、親として感慨深いものがあります。あーこの子の子育てはすーごく楽しかったなあ、いろはのおかげで、たくさんいい思いをさせてもらったなあと思います。まだ育て終わってないけど。 来月の中学の入学式には姑からも出席希望があり(汗)まだひと波乱あるかもしれませんが、祝ってくれる人が多いのはいろはにとって幸せなことなのでしょう。 振り返ってみると、中学受験のために低学年から勉強させる必要は、無いかもしれません。いろはは喜んで塾に通いましたし、行きたい学校の合格をいただき、我が家なりの良い受験が出来たと感じています。が、もう一度いろはの低学年からやり直しできるとしたら、公文をボチボチやらせる程度で、塾は4年からにするかな~。うちは下がいないので、この経験を生かすことは出来ませんが(笑) いろはの中学受験は終了いたしました。長らくいろはの成長を見守ってくださった、今となってはごく少数の皆様、たいへんありがとうございました。 皆様もお子様と共に、素晴らしい春をお迎え下さいませ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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