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カテゴリ:独立開業
何だかいい感じです。
書けるうちに書いておくって、 私にとっては実はすごく大切かもしれないと思いました。 歩みを感じるために、断片を固まりにするために、 去年からいろいろな試みをしていました。 マインドマップやコーチング。 これはきっと私にとっては調理なんだなあと。 食材があってこそ、どんな風に調理しようか考える。 それが私のスタイルなのかもしれません。 ちょっとどんくさい私に合う方法なのかもしれません。 ここや「ほぼ日手帳」(笑)につらつらと書いたものが、 私にとっての食材なんです、きっと。 ここで調理しようと思うから書けなくなるわけで。 もちろん、調理済みのものが出てきたってかまわないのですが、 そうでない覚書もとても大切なんだとわかりました。 さて、昨日の続きです。 私が勉強を始めたかったもの。 それは翻訳のお勉強でした。 当時は製薬会社で働いていたこともあって、 医薬の分野にとても興味がありましたし、 日本語にかかわれる仕事をずっと探していましたから。 日本語教師を目指した時期もありました。 とても興味深い仕事であり、 実際に教えることも大好きでした。 でも、 会社での書類やようやく作成の時であっても、 正確な日本語は必要になってきます。 要するに能力がないのだと身に沁みました。 「日本語にかかわる仕事」って、 一体、自分は10年間も何を探してきたんだろうと、 ただただ看護師の仕事から足を洗うための何かを、 あれでもないこれでもないと逃げながら探していたのかと、 そんな風に考えていた矢先の出会いでした。 その講座の先生は言葉の本質を真摯にみつめる方でした。 その方の著書をむさぼるように読み、 いてもたってもいられずに講座に入会し、 会員だけが読める著書も入手し一気に読みました。 この道を行こう。 はっきりとそう思いました。 言葉の本質に真摯に取り組めば、 私にもこの仕事ができるかもしれない、 そう思い、仕事も減らしてまずは10年間、 ここで頑張ってみようと決心しました。 でも、 結局2回、課題を提出しただけで、 私はそこでの勉強を辞めることになりました。 「なりました」というと不可抗力のようですね。 いいえ、続けようと思えば続けられたのです。 介護や家族の死や経済的なこと。 どれも乗り越えてきたのですから、 軌道を戻すことはできたのです。 難しい仕事だから怖気づいたとは思いたくありませんし、 実際そうではないと思っています。 ただ、夫と日本で生きていくために、 何が一番いい形になるのかを考える必要はありました。 義母が他界して、夫は日本で生きていくことを決め、 一番やりたいことを私に告げました。 それにはただ単純にお金が必要でした。 ここで、自分の10年後に賭けて頂戴とは言えませんでした。 それほどの覚悟を持つことができなかったのです。 お互い好きにやりましょうとも言いたくなかった。 それが私の選択でした。 おいおい、そんなに重要なことかい?と思いますか。 ええ、とても重要で大切なことでした。 将来、自分に言い訳をしないための、 自分で自分の人生の責任を取るための。 迷うことは責任を取ることです。 責任の場所を確保することです。 私は夫とともに開業準備に取り掛かることにしました。 その講座にはもう2年ほど籍を置いているのですが、 実際、技術的なことは何一つ勉強を始めませんでした。 ただ、商売(と言ったら怒られるかもしれませんが)の厳しさ、 どんな仕事にも通じる仕事に対する姿勢、 そういったものを感じ取ることができ、 筋の通った何かを持ちたい、 闘うことができる人間になりたいと思うことができました。 その方のブログと相互リンクさせていただいていますが、 何もお断りをしていないので詳しいことは書きません。 私が入会していることもご存知ではないだろうと思いますが、 こんな独り言の日記でひっそりと感謝を述べたいと思うのです。 その方に人生を変えてもらったのですから。 実はまだ、退会手続きをしていません。 そこの会報誌がとても面白くてついつい先に延ばしていたのですが、 仕事をするために切磋琢磨する人たちが集まる場所に、 私のようなものがいつまでもいてはいけません。 そろそろ、手続きをしなければいけませんね。 手放したものがこんなにも自分の中にしっかりと残る。 手放すのも初めてならば、 そんな経験も初めてです。 将来に繋がる選択であったと、 そんな風に振り返ることができる未来を作っていきたいです。 さて、もう少し自分の棚卸し、 してみようかと思っています。 蛙の子は蛙。 商売人の娘の血は商売人のDNAで溢れている?? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008/01/06 12:10:29 PM
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