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カテゴリ:独立開業
いやいやいやいや・・・。
どれだけご無沙汰してるんだか。 言霊とはよく言ったもので、 文章には魂がこもるんですよね。 日々の紆余曲折を日記にするって、 すごくすごく力と勇気を使う作業でした。 赤裸々なことも表現したいと思うと、 楽天からは遠ざかってしまうんです。 小心者のワタクシ、専らmixiでばかりアップしてました。 今後もそんな感じだと思うので、 マイミクさんになってくれるリンク先の方、 どうかご一報くださいませ。 そしてこの間私、 一生懸命勉強してました。 胃袋で( ̄▽ ̄)V (舌でというより胃袋) さて・・。 私の父方の祖母は蕎麦屋さん。 日暮里小町と言われた美人。 私は祖母に容姿も性格も良く似ているとか(あれ?!) 祖母は蕎麦が好きだったわけではありません。 店では餃子も出していましたから(爆) 氷川丸の船員だった祖父は一年の大半は海の上。 祖母はただただ愛する3人の息子たちのために、 蕎麦屋を切り盛りしていたのです。 祖母は父が8歳の時に亡くなりました。 そんな母を見て育った父は、 商売の厳しさを知りながら自分も商売の道に。 中卒で知識はないが知恵はある父。 それは父が自ら選んだ道でした。 その父が母方の祖父に出会いました。 同じ商売をしていた祖父は、 戦時中は朝鮮と中国で6年間を過ごし、 日本に引き上げてきた人。 帰国後は自分でリヤカーを引き、 今の商売の基礎を築きました。 とてつもない自分勝手な祖父ですが、 妻と子どもは愛していたのだと思います。 この人だから戦争を乗り越えてきたのでしょう。 この人だから日本に帰って商売を始められたのでしょう。 そんな先人たちの話を聞き、 そんな先人たちを見ながら、 バブル崩壊を乗り切った父を見ながら、 商売人にだけはなるまい。 そう思っていました。 経理を担当する母のため息。 商売って怖い。 とーっても怖いと思っていましたから。 でも、 韓国料理に出会って、 夫と出会って、 何かの縁に導かれるように、 独立を決心していました。 大きなことはしなくていい。 奇をてらうことはしなくていい。 祖母のように祖父のように、 そして父のように。 小さいけれども何かのために、 心をこめて商売をしていきたい。 安心できる味と雰囲気が、 「ただひとつ」 を作るのだと思うから。 そう思うようになりました。 韓国料理と出会わなければ、 夫と出会わなければ、 祖母や祖父の孫でなければ、 父と母の娘でなければ、 この道を歩こうとは思わなかったでしょう。 だからまず胃袋と足で。 何を提供していくのか、 そのために必要なことは何なのか。 プロである夫の知識と、 ど素人の私の理想でもって、 構想が具体的に固まりました。 固まると言ったって、 机の上でのことですから、 覚悟が決まったぐらいのものです。 これからやることは山ほどあります。 それでもあと3回ボーナスをもらった後、 私たちは新しい一歩を踏み出しているでしょう。 笑顔で「オソオセヨ」と言っている自分たち。 それは近い将来必ず実現します。 ・・・って、長いんだよアタシ!! 前置きがさあ~~m(*T▽T*)m。 「胃袋」での勉強の話は次に続きます、ゴメンナサイ・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008/04/26 11:34:01 PM
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