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遊~ながれのままに法喜充満~

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さくらい遊ゆう

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2007.03.23
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カテゴリ:日常の風音。
壱太郎の和太鼓ライブ。
たくさんの方に来寺いただき、感動の場を共有できたこと。
ほんとうに伝えたいことを伝えてゆける。
なんてなんて幸せなんだろう。
ありがとうございます。

そして、
やっぱりすごいね太鼓莫迦壱太郎。
ありがとうありがとう。

太鼓の音って魂に届くんだよね。
あれは『音』って言うのかな。
この感動は言葉では伝えられない。

壱太郎

070323ichitaro
バックの絵は、乾敏夫さんによる10mの駆ける馬の絵。(本應寺所蔵)
まさに駆けてたね。


私は、
和太鼓の響き、尺八の音色を胸に受け・・・
今年実家に帰ったときの、ある父の顔を思い出してた。
そんなこともたまにはココに記そう。。。


若い頃、浅草で職人として修行していた父。
浅草といえば三社祭。
祭りが大好きで、神輿が大好きで・・・だから浅草だったんだろう。
長男として家を継ぐため長野の実家に戻るも、伝統技術を守る祖父とは違う道を選んだ父。
新しいことが好きな『貪欲』なひと。

小さな田舎町。(いちお市内だけど・・・)
それなりに祭りが盛んで、町ごとに神輿があり、無形伝統文化財の祭りもあったりする地。
その中で父は、我が町おこしと称し、祭りに情熱をかけていった。

もともと伝統深く、あらゆる伝統が継承されている町だったので、
私も小さい頃から祭りに関わり、いろいろと楽しんだ。
神輿はもちろん、顔を真っ白に化粧して薙刀(なぎなた)舞をしたり、お囃子(はやし)隊をした。
男の子は、高校生になると天狗になり、青年になると消防団に入り出初式では梯子のぼりをする。

小学生の頃、夏になると毎晩のように近所の神社に集まった。
祠の中でろうそくを灯し、舞や太鼓や横笛の手ほどきを受け伝え練習をする。
町内会では、いつも大人と子供が一緒に何かをしていた。
風情ある思い出。


((おかげで私も、笛や太鼓を聴くと血が騒ぐ娘に成長した。。。
((だから、和太鼓と尺八ライブなんてことになるんだろう。。。


そんな私が幼少の頃、父はまだまだ働き盛りの若い衆。
祭り熱もかわいいものだった。

ごく一般的な神輿の掛け声、『わっしょい!わっしょい!』を、
三社祭風の掛け声、『セイヤ!セイヤ!』に変えたくらいだ・・・。



それから数十年。
70歳になった父は、まだまだ現役に熱かった。

今年年明け、用があって実家に帰ったのだが、折りしも雪祭りの真っ只中。

町内の雪中神輿が『セイヤッ!セイヤッ!』っと町を練り歩く。
私が雪祭りの最中に実家にいるのは、15年ぶりくらいになるだろうか。
かなり、にぎやかな祭りになっていた。
この町内にいるはずの無い老若男女が、威勢よく神輿をかついでいる。。。

神輿を見守り、盛り上げながら、父がうれしそうに私の袖を引っ張りまわす。
『みてみろこんなにすごい祭りになったんだよ
ほら、この人は東京から、この人は岐阜から!日本中から人が集まるようになったんだよ!』

目に涙をためながら、嬉しそうにいろんな人を紹介してくれた。

すごいね。すごいね。よかったね。よかったね。
私にはそれしか言えなかった。

感動。


あのときの父の顔は忘れない。

一生をかけて成し遂げた祭りへの思い。
これが父の『夢』。
しかと見届けた。

暖冬で雪の全く無い町に、演出のごとく雪が舞っていた。



光り輝く父を見て、『これが最後かもしれない。』と、
冷静に思ってしまったのは、念仏修行している成果だろうか・・・。


なむあみだぶつ。
なむあみだぶつ。

ありがとうありがとう。
おおいなるものにすべておまかせいたします。








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Last updated  2007.03.26 01:15:30
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