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 今日の東京は、薄曇。

 薄日が、部屋の奥まで射してくる。

 気温は、平年を上回って高めである。

 昨日は、散歩中に汗をかくほどの暑さだった。

 葉の落ちた木の細い枝に「柿」が二つ、夕日に赤く映えていた。

 美しい秋の夕暮れの叙情的な風景であった。

 柿を詠んだ有名な句二つ。


  ‘ 柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」’ 正岡子規

 ‘「柿食ふや 遠くかなしき 母の顔」’ 石田波郷

「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」は、あまりにも有名な子規の俳句である。ところがこの句は、法隆寺(生駒郡斑鳩町)ではなく、「東大寺(奈良市雑司町)の鐘」を詠んだものだという学説もある。

 子規が奈良を訪れたのは、松山での漱石との共同生活を打ち切って東京へ戻る途中である。初めに東大寺の近くに宿をとった。柿は子規が最も好んだ食物だった。子規が部屋で寛いでいると、旅館の女中が現れて、子規の好きな柿を剥いてくれた。その時、東大寺の鐘の音が聞こえてきた。そのときの様子を子規は、後に「くだもの」と題する随筆の中で回想している。

 東大寺近くの宿で詠んだのは、‘大仏の足もとに寝る夜寒かな’と言う句であった。

 子規が法隆寺にやってきたのは奈良に到着して四日目。その日の天候は、雨模様であったらしい。そこで子規が法隆寺を詠んだ句の一つが、

 ‘いく秋をしぐれかけたり法隆寺’である。

 もし、学説が正しいとすれば、子規は、法隆寺に来ても、好きな柿を食べながら聞いた東大寺の鐘の音が忘れられなかったのだろうと思う。だから後に法隆寺で実際に鐘の音を聞いたとしても、その音が東大寺の鐘の音と重なったのではないだろうか。


   ‘人生は すべて 心一つの 置きどころ’








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Last updated  2011.10.17 11:42:59
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