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シングル母のアメリカ暮らし

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2006.10.07
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私は厳格な仏教徒の祖父母と同居し、
もの心ついた時から毎日お寺に行かされた。
毎日朝晩お経もあげさせられ、
それは祖父が亡くなり、祖母と別れて暮らすまで続いた。

両親は宗教に関心がなく、
私もいつしか忘れていった。
教えてもらった事で記憶に染み付いている事はたくさんあるけれど、
それほどの影響を受けたかどうかはよくわからない。

結婚してアメリカにきて、
私はある教会に通うようになり、
6年かけてやっと洗礼を受ける気になった。
自称クリスチャンである。
何故そういう事を言うかというと
「あんな宗派はキリスト教ではない」と言う人たちも
少なくないからだ。



話は変わるが、
今回の痛ましい、アーミッシュでの学校の発砲事件で
その後の美談が数々報道されている。

アーミッシュの人たちというのは
平和的で争いごとを嫌い、
宗教信条として「許すということ」が
大きな柱になっていると言われる。
その生活ぶりから異端視されてもいるけれど、
キリスト教の一派であり、
清く正しく平和的に、
そして勤勉に生活している事で知られている。

この許す、という事は出来そうで出来る事ではない。
「わかった、許そう」と口では言っても、
心の中で憎んでいたら何の意味もない。
一番出来そうで出来ない事だ。



今回孫娘を殺されたあるおじいさんは
残された他の家族に
「彼を憎んではいけない」と言ったそうだ。
犯人の祖父が彼等に会いに来た時も、
犯人の家族をねぎらい同情したと言う。

殺された年長の女の子は
他の小さな女の子たちをかばうため、
「私を先に撃って」と犯人に頼んだと言う。
その子の妹も「自分を撃ってくれ」と頼んだそうだ。

ニュースの話だから誇張も混ざっているかもしれない。
でも十分考えられる話ではないかと思う。
そして、それを自分たちの身に置き換えた時、
そんな行動がとれるだろうかと自問する。
きっと今の私には取れないだろうと思う。

もし我が子を殺されたら、どうするか。
多分犯人どころかその家族も親も
憎んで憎んで憎み続けるかもしれない。
でもそんなことをして確かに殺された子が帰ってくるわけでもなく、
残された人たちのために生きて行かなくてはならないのは事実だ。

強いなあ、と思った。
その強さの裏に何があるのか知りたいと思った。

「許すという事」がこんなにもシンプルで
そして難しいかを私たちはきっとわかっていない。
でもそれをきちんと実践出来る人たちがいる。
そして神様を信じているからこそ、
他の子を庇うために死ぬ事も恐れなかった、
まだ思春期を迎えたばかりの少女達。
私はその記事を読んで涙が止まらなかった。



私の通う教会でも「許すということ」はしょっちゅう説かれる。
それほど実践の難しい事だからだ。
先ほども言ったように、異端視されている私の教会だが、
私も他の色々な教会を見てまわり、
私の中ではここが一番居心地がいいと感じ、選んだのだ。
それでも6年もかかったわけだけど。

他の教会の人たちが、クリスチャンじゃない人を蔑んだり、
他の宗派を貶めるようなことを言うのも嫌だった。
そういう事を一番感じなかったのがこの教会だった。
よその宗派の「あそこは正当なキリスト教会ではない」
と言う声も何度か聞いたがとても不快だった。
そんなことを言う権利はいったい誰にあるのだろうか。
正当なキリスト教。正当な仏教。正当な宗教。
誰が、どこのオーソリティがそんな事を決められるのか。
それを決められるのは神様だけ、人間ではない。
そういう不毛な事を言って他を貶めている暇があったら
自分たちが日々しなければならない事を、
ただ黙ってすればいいのではないのか。
アーミッシュのひとたちのように。


ずっと前に買った料理の本で、
レシピと一緒にアーミッシュの生活や信条や考え方が
書かれている本があり、
「潔い生活だなあ」と思ったものだけど、
今回報道された中から、
なるほどなあとうなずける事がたくさんあった。


日本では宗教を持つ、ということは
気味悪がられたり、蔑視されたり、「大丈夫なの?」
などと勘ぐられたりする事も多いが、
アメリカでは個々の宗教信条はその時々で考慮される。
例えば私は宗教的信条からお酒は飲まないが
日本に行くと「いいじゃない、ちょっとくらい」とか
「なんでそんな宗教はいっちゃったわけ」などと言われる事もあるが、
こちらでそういうことを言えば、その場でそれは理解される。
無理に勧められる事は決してない。
それは学校や会社など公共の場においても考慮されるのだ。


人それぞれなので、宗教を持つ事をすすめるわけではない。
でもそれがある生活とない生活は、
少なくとも私の中で大きく違う。
生活のリズム、何かを始める時の判断基準。
人との関係を築く時にもとても役に立っている。
元夫のした事を(大筋において・笑)許す事が出来、
いい関係を築けるようになったのも、
宗教のいい影響を受けたと思っている。


私はそう言う意味で、道に迷っている人に声をかける事もあるけど、
強引に教会に引き込んだり、説いたりは決してしない。
人は誰でもその人の信じたいものを信じる権利があり、
それは決して邪魔されるべきものではないからだ。
人の信じているものを蔑んだり貶めたり、
そして人を憎んだり許せなかったり、
そして人を傷つけたり。
そういう事をできるだけしないようにしたい。
改めて強く感じる事が出来た。


人間の感情というものは
そんなに簡単にコントロールできるものじゃないけれど、
人の悪口をいったり書いたりするうちに、
その感情がますますふくれあがったりする。
いずれそれは自分の人格や表情に反映されるのだろうと思う。
気にしないこと。
忘れるようにつとめること。
許すようにつとめること。


多分一生かかっても出来ないかもしれないけれど、
それをできるだけ克服していきたいなあと思う。






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Last updated  2006.10.08 01:37:00
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