北風と太陽
言わずと知れたかのイソップ童話は元祖お教訓物語だけど、本当に的を得た内容だ。「そうだ、こうじゃなくっちゃいけないんだよ。」と頭では理解し、子育てに挑む。ところがあっという間に撃沈し、家庭内に北風が吹き荒れる。「太陽のようなお母さんになりたい」心の中では誰もがそう願っているに違いない。私は体型と顔の形は太陽に似ているが、性格は全然違うので苦労している。ああ、どうしたら太陽になれるのか。切実な悩みだ。ところで何も親だけではなく、教師などにもこれは大いに当てはまる。実は去年の次男の先生は、どちらかといえば「北風先生」だった。意地悪な人ではないので、嫌いだったわけではないが、納得のいかないことも多かった。そう若い先生ではなく、ご主人の病気も重なって疲れていたのだとは思うが、後半はかなり疲れきってイライラが顔に出ていた。それなのに子供達には笑顔を無理矢理向けようとした。眉間にしわを寄せたまま、ニッコリしても子供の心を温めない。次男は特に彼女を嫌ってはいなかったが、子供達の中には拒否反応を示す子もいた。結局やめることになった時、正直言って親も先生も肩の荷が降りたという感じだ。今年から来たのは若い、とても可愛らしい先生だった。長めのウエイブがかかった栗色の髪をふんわりとまとめ、くりっとした可愛い瞳、落ち着いた笑顔、静かな優しい声、ゆったりとした動作。けれど年よりもさらに若く見える彼女は、第一印象がかなりたよりなげだった。ところが実際彼女の担任としての生活が始まってみると、意外なことにとてもバイタリティがあり、子供達をまとめるのもうまく、そして働き者だった。クラスルームはいつもすっきりと片付いていて、とても清潔な感じだ。ニコニコとゆったりした雰囲気で、実はかなりてきぱきしている。必要な連絡事項も、項目ごとに分けられ、メールと手紙と両方で通達される。新しい試しみもどんどん取り入れ、その都度父兄に細かく知らせてくれる。けれど何よりも素晴らしいのは子供達への接し方だ。彼女は決して感情的に怒らない。声を荒げることもない。とても静かな、優しい声で、けれど注意する時はきちんと真っすぐな態度で挑む。子供への接し方が本当にうまいなあと思った。たとえば、食事の前に歌を歌うとき、何人かの子供達がペチャクチャ話している。「おしゃべりはやめなさーい」「OOくん、静かにしなさーい」などという代わりに「あなたたちの何人かは歌を歌う準備ができてますね。でも私はここにいる皆に準備をしてもらいたいの」すると話していた子は静かになる。水彩をしている時に騒がしいと「先生は静かな部屋で皆の絵が見たいわ」というと子供達はおとなしく絵筆を動かし始める。次男がペチャクチャ話していとき、「Aくん」と名前を呼ばれたので、あ、注意されるな、と思ってみていたら、「先生のこれを手伝ってください」といい、そのあと次男はずっと静かに先生を手伝っていた。去年の先生だったら、名指しで叱られていたところだ。「マジックだ、こりゃあ」と思わされることが何度もあった。「スナックの時間に栄養価の高い、温かいものを食べさせたいんです」と、子供達のために、ときどき玄米を炊いて食べさせてくれる。雑巾はいつもきれいに洗濯してあり、棚の中も見事に整頓されている。子供達がスナックや食事をとっている間はずっと本を読み聞かせ、休み時間は校庭をゆっくり歩きながら、遊ぶ子供達を見守っている。いったいいつ休んでいるんだろう。この人こそ「太陽先生」だと思った。長男の最初の先生も素晴らしい先生だったが、2年で残念なことにやめてしまい、今の担任の先生はいまだによくわからない部分が多い。いい先生だとは思うのだが、ちょっと空回りしている感じだ。なにしろ、基本的には8年生まで先生が変らないのだから、「ハズレ」だったら大変なのだ。そういう意味で、去年は100%幸せとは言えない状態だったけど、今年はもう次男のクラスの親はくるくる舞い上がっている。次男が夕飯を食べながら「ママ、最近玄米は前よりもっと好きになった。」白いごはんが何よりも好きで、玄米を炊くと浮かない顔をしていた次男が言った。「だってMiss Bが炊いてくれるから。バターとごまとお醤油もかけてくれる。」何だよ、そりゃ。(笑)「Mom, Do you like my teacher?」「うん、好きだよ。」「Me, too. I like her, too.」よかったね。次男。ママも頑張って「太陽おかあさん」を目指すよ。本日の献立:玄米、わかめと豆腐の味噌汁、鶏と野菜の酢豚風、残り物の餃子