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カテゴリ:人生
南三陸町は 3.11の際にどこにも連絡が付かなかった‥ 南三陸町には 誰一人生存者はいないのか‥ そんなふうに当時は報道されていた。 覚えてますか そんなニュースを‥ 私は、今でもハッキリと覚えています。 東日本大震災で職員ら43人が 犠牲となった宮城県南三陸町の 旧防災対策庁舎が、 震災遺構として保存されることが決まった。 解体か保存かで意見が分かれ、 県有化して判断を先送りしてきたが、 震災から13年になるのを前に、 佐藤仁町長が町民の理解が進んだとして決断した。 (ネットの記事から) 震災遺構として残るのですね。 今年の元日に 能登半島で大きな地震が起きて 東日本大震災以来の 「大津波警報」が発令された。 地震は、怖いですね。 津波と火災を伴って 少し間を空けて噴火を促し 多くの犠牲を生んでしまう禍いです。 今日は、被災地の各所で 供養が行われました。 私も午後2時46分 サイレンの音と一緒に 黙祷を捧げました。 震災の記念に三春の滝桜の 実生の苗木を植えてから 今年で13年‥ 暖冬と言われている2024年ですが 子滝桜は、今年はまだ開花しません。 今朝はこのぐらいでした もう1〜2日で咲くかも知れませんね。 3.11は、私にとっては 生涯忘れることの出来ない日です。 この13年で 防災意識や危機管理意識、能力も かなり、身につけましたが それは、あくまで家に居るときに 地震が起こったらのことです。 車のガソリンも 車内の置いてある防災グッズなど そういったものは ほとんど用意が出来ていて 1日足りとて 怠ったこともありませんが‥ もし、外出先だったら、どうしましょう‥ 地震の恐怖は、小さな地震で揺れるたびに 今でも鮮明に思い出し 心臓が破裂するのではと‥ 思うくらいに動悸も止まず 脈拍もかなり速くなります。 完全にトラウマです そうは言っても 「春」になってゆきます。 被災地にも春の花が 咲いてゆきます。 ムスカリの花が背伸びしてきました。 プランターのデイジーも 満開です。 供養のために 般若心経を書きました。 長い長い和紙に書きます。 経文ですが 光悦みたいに 文字を散らして書いてみました。 こんなに長い和紙は なかなか手に入らないので 書き損じのないように 集中して一気に書き上げました。 震災の復旧復興は そんなに簡単なことではありません。 福島の原発は 「廃炉に向けた作業の本丸」と 言われているデブリ取り出しは まだ実行されていない‥ デブリとは‥ 2011年3月の東日本大震災による 東京電力福島第1原子力発電所の事故当時、 1〜3号機は運転中で原子炉内に燃料があった。 原子炉は自動停止したものの、 燃料を冷やすための電源が津波で喪失し、 炉内の構造物と燃料が溶けた。 溶けた燃料などが 冷えて固まったものをデブリという。 デブリは、フランス語で 《壊れたり崩れたりして散らばった破片や残骸の意》 般若心経を書き終えて 私の中の何かが変わったようなしました。 今春も福島へは たくさん足を運びます。 美しい一本桜を求めて 福島へ行きます。 福島県にある有名な一本桜は たくさんあります。 日本で一番、一本桜の多い県が 福島県なのです。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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