氷山の楽書き帳(浅草十二階)
「そりゃあ、なんてたって浅草の十二階が崩れ落ちた時は この世の終わりかと思ったわよ。 隅田川のこっち側、向島だったから よく見えたし、私が小さい頃の自慢の建物だから 崩れ落ちてゆくのと自分も死ぬのかと云う思いで どうしていいか分らなかった‥ あの頃の十二階は、今の東京タワーなんかより ずっと、目立っていたからね〜」浅草12階、正式名称は「凌雲閣」と云う。その人は、明治38年生まれの巳年のおばあちゃま。関東大震災の事を話してくれた。その時代を生き抜いた人から関東大震災の話を聞く事は滅多にない。聞いたとしても実話ではなく言い伝えられたものや博物館に残された記録である。おばあちゃまが18歳の時に関東大震災が起きた。記憶が鮮明なのも頷ける。浅草の十二階があった頃の東京はどうだったのか?昨日行った「大江戸博物館」で学ぶことが出来る。 「昭和一桁生まれは、戦争が大変だった、大変だったって云うけど あなた、震災に比べたら、戦争なんかは どうってことはなかったわよ。 私も家族を引き連れて、埼玉に疎開したけれど、 <そかいさま>と云って大事にされたしね。」そのおばあちゃまは5年前に亡くなった。御年103歳だった‥今回の東日本大震災を経験せずに逝ってしまったがもし、ご存命であったならばどう思っただろうか‥浅草には、十二階の代わりに今は「スカイツリー」がまるで卒塔婆のように雨に濡れて建っている。いろいろな思いが私の中で交錯した。にほんブログ村にほんブログ村