氷山の楽書き帳(死と生が呼応する場所)
「死」それは、生ある万物に必ず訪れるこの世との別れの瞬間である。こればかりは、嫌だと言っても逃れる事の出来ない絶対の別れであり自分の思いなどは全く及ばず、而も何時訪れるかも分からない。人間の場合、その時代や場所において、その別れの在り方には違いがある。大昔は人はどうやって「死の確認」をしたのだろう‥?死んでいるのか?生きているのか?の基準はどうやって決めたのだろう‥?車で湖沿いを走ると「古墳」が見えてくる。今は、整備され、緑の小山のようであり公園にもなっている。「三昧塚古墳公園 HP」形は、「前方後円墳」前方後円墳は、弥生時代に始まり、全国各地に多くの古墳が今も残っている。「墳墓」の研究をすると興味深いことに辿り着く。それは、「死者を弔う」という行為がかなり昔から行なわれていたことである。旧石器時代から「弔い」「埋葬」「墓」などを儀式のように行なっていた。穴を掘って埋めたか?そのまま放置したかは見つかった人骨が出土した土の中の脂肪酸を調べてみると分かる。遺体を葬るとは、大地に大きな穴を掘り、死者を安置し、土で覆う。盛り上がった土は、ある意味目印にもなり、時が進むにつれて標柱を立てる様になる。こうした一連の行動は、単に死者を弔うだけでなく、死者に大地の一画と地下への世界を提供するものでもあった。生きている人々が暮らし営む聖なる村から村の外へと葬ることは、彼岸と此岸、地下と地上の異なる世界を築きその村から村の外を繋ぐ道は死者とのやり取りが出来る通い道だったやも知れぬ。まだ、仏教も伝来していない遠い遠い昔、我が国でも、他所の国でも死者を弔う風習はかなり大昔から存在していたことになる。今年の夏もお墓参りに出掛けた人は大勢いるだろう。盂蘭盆会と終戦記念日は別のものではあるが運命の徒なのか、同じ頃になってしまい、日本人の多くが祖先を迎え、祈りを捧げ思い出を語る。それは、死者にとっても今生きている私たちにとっても心が通い合い美しい瞬間のようにも思う。死の世界を「極楽浄土往生」と言い、現世は「苦海穢土」と呼ぶ。にほんブログ村にほんブログ村