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カテゴリ:信仰について
ごぶさたしています。
私は2月頃から消化しきれない出来事があり、 そのことで調子があがったり下がったりしています。 その出来事というのは人間関係の問題です。 人の縁は本当に不思議でその時々にかなった人が 自分の周りに置かれているものですよね。 頭ではわかっているけど心がなかなかついてこない そんな状況です。 先日、アジャ・コングさんの生い立ちの特集番組があり 感じたことがありました。 「主は最善以下をなさらないお方。 私に起こるすべてのことが私にとっては最善である。」 彼女は黒人の在駐軍と日本人の間に生まれたハーフで 小さい頃からたくさんいじめにあってきたそうです。 父親は彼女が5歳のときにアメリカに戻ってしまい、 母親に育てられ、その母親を彼女が全盛期に入った19歳の時に亡くしています。 母親の死因は肝臓ガン。それも脳出血の入院の加療中に 輸血を受け肝炎のウィスルに感染し47歳で他界されました。 人気絶頂だったアジャは母が昏睡状態になったとき試合&サイン会があり、 母親の死に目には会えなかったそうです。 その後、父親に母の死を伝えたいと思い父親探し手紙を書きました。 しかし、そのときにはすでに父親も他界しており、その娘と名乗る 人から返事がありぜひ会って話したいことがあると言われます。 彼女は悩んだ末、渡米しその女性に会い彼女の知らなかった事実を知ります。 それは、アジャは父親の浮気によって生まれた子であったこと。 毎年、アジャの誕生日には父親がお祝いしていたこと。 父親は死に際までアジャに謝りたいと言っていた事でした。 アジャさんにとって母親は大きな存在でした。 その母親の死に目に立ち会えなかったことは辛かったことだけれども かえってそのほうがよかったと話していました。 もし立ち会っていたなら母の死を受け入れるしかなく、 後を追っていたと・・・。 アジャさんの生い立ちは第3者が見るととても恵まれて幸せに思えないかも しれません。けれど、彼女にとってはすべて最善なんだろうと感じました。 いじめられることは大変苦しいことです。けれど、それによって人の痛みに 対する感受性が身につきます。しかし、中には歪んだ人間性を身につけて しまう人もいます。その違いは何だろう?と考えたとき、 自分は愛されている そのことを知っているか、知らないかの差じゃないかと思いました。 私達は神様によって愛されている存在である。 だからこそ、私たちの身の上に起きることは 私にとっては最善のこと。 『主の御名にふさわしく私を正しい道に導かれる 死の陰の谷を行くときも私は災いを恐れない』(詩篇23) アーメン! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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