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カテゴリ:信仰について
こんにちは。 今日は一段と冷えますね。 普段雪の降らない私の地域でも天気予報でも雪ですからねぇ 皆さんも体調には気をつけてくださいね。 さて、今日は近頃気づいたことを綴ろうと思います。 「肉」と「霊」について特に学ばされました。 私たちの古い性質は「肉」とよく言われますよね。 少なくとも私たちの教会ではそう教えられています。 イエス様を信じる者となった後、 「肉」に苦しみながら歩んでいくこととなります。 けれど、そこにイエス様の十字架を適応することで 少しずつ清められ「肉」に苦しむことが少なくなってきますよね。 「肉」的なものはとても魅力的に感じることもあるし、 どきどきわくわくさせる華やかな要素が多くあると感じます。 この世ではそれを良い物としていることもあります。 たとえば、宴会や祭り等など…。 けれど、それを満たした後には「虚しさ(空虚さ)」が 押し寄せてきます。 一時の楽しみや快楽のために普段はそれほど感じない ネガティブなものに捕らえられてしまうんです。 それは「霊」が虚しさを感じているんだと思うんです。 「肉」を満足させるものは「霊」を悲しませ、苦しめます。 「霊」によるものはこの世での楽しみや快楽とは違って 華やかさはなく、つまらなそうで一見いらないもののように感じ 後回しにしたくなってしまう私がいます。 けれど、それらは本質的なもので「霊」が満たされないので 「肉」で満たそうとして満たされず虚しくなってしまうんでしょうね。 イエス様を知らなかったときには何となぁく虚しく孤独で それを満たそうと試行錯誤し、いろいろ取り繕おうともがいていました。 だんだんそんな自分に疲れ、つまんない大人になっていってました。 この世にあるどんなことであれ「霊」が死んでいる間は何をしても 虚しいんでしょうね。そんな自分を騙しだまししながら生きていくしか ないんですもんね…。 「霊」の喜びは私たちの生命線だなぁとつくづく感じました。 「霊」に対して「肉」は抵抗するものなので 面白くなさそうに感じても敢えて面白くなさそうなほうを選ぶ イエス様に対する信頼感が信仰なんでしょうね。 もっとイエス様に対して慕わしい想いが強くなっていったらいいなぁと思います。 長々と読んでいただきありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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