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カテゴリ:日記
今日は全国的に雪が降っているところが多いようですね。 こちらも降っています。 雪があまり降らない地域なので雪を見ると少しワクワクします。 移動するには不便なんですけどねぇ…笑 私が去年から交わりを持っている クリスチャンでない友人からメールが届きました。 彼女は深く傷ついて「自己憐憫」が強く、 他者からの言葉を受け付けません。 何とか幸せになってほしいと思い 主を証しし関わっているのですが、 どう関わっていったらいいのか答えが見出せないままに 今まで何度も祈ってきました。 彼女とは主によって出会わされていると強く感じます。 私が信仰を持っていなければ 交わりを持つことは絶対なかった人だからです。 しかし、彼女と関わることにより自分の愛のない冷酷さ、 忍耐できない短気さ、ずうずうしくお節介なところなどなど いろいろなことを思い知らされます。とても苦しくなります。 人を育てていくというのは本当に大変なことなんだなぁと 学ぶ機会となっている大きな出会いとなっています。 ある時ふと、自分の何かでもって彼女に関わろうとしているから しんどいのではないだろうか?と気づき始めました。 それから、御言葉をそのまま語る方法に 切り替えてみることにしました。 そうすると私の内側にあった重たくのしかかるものが 取り除けられたように感じました。 もちろん共感してあげることは大切ではあるのだけど、 人は自分で決意して今までのものを手放さない限り その人はそこにとどまり続けるものですよね。 そこから踏み出そうとする力は神様が与えてくださるものだから、 自分であーだこーだ考えて語ることをやめることにしました。 御言葉はそれ自体に力があるものだし、 その力に期待して祈り続ける これしか私にはできないんだなぁと思います。 通りよき管と例えられるようにただスルーするだけ。 私が頑張らなきゃとか力む必要がなかったんだなぁ と気づきました。 と同時に主の力を見くびっていたことを反省しました。 「事を成すのは私だ」とおっしゃる神様に全てお任せすることのは こういうことなのかということを教えて下さったのですね。 そうして日々少しずつ実践できる者へと変えられてきていることを感謝します。 キリストのうちに生きるということは本当に自由にされていくことなんですね。 真理は人を自由にする、そのとおりですね♪ 余りある大きな主の恵みが読んでくださっている兄弟姉妹の皆さんに 豊かに満たされますように アーメン お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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