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2006年、2月18日。
中高一貫校だったので、6年間過ごした学び舎を巣立ちました。 自分は、こんなにも泣ける人だったんだね、ってくらい泣きました。うん。 寂しくて吐きそう ほんとありがとうね。 一緒に馬鹿なことやって遊んでくれてありがとう 中等科上がりで不安いっぱいだったのに一緒に缶蹴してくれてありがとう 一緒にバレーしてくれてありがとう 一緒に授業サボタージュしてミスドで話し聞いてくれてありがとう K1のとき従兄弟が死んだって聞いて鼻血だしながらグチャグチャになって泣いてた私をずっと抱きしめてくれてありがとう 練成会で協力してくれてありがとう 健康診断のとき一緒に働いてくれてありがとう お守り作ってくれてありがとう 喧嘩しても喧嘩してもひつこく何時間も電話して話し合ってくれてありがとう 電話してとんで来てくれてありがとう 稲葉さんで元気づけてくれてありがとう 受験の日メールくれてありがとう お休みした日メールしてくれてありがとう お誕生日祝ってくれてありがとう お弁当一緒に食べてくれてありがとう 一緒に帰ってくれてありがとう 一緒に歌ってくれてありがとう 全部、全部を伝えたいのに、上手く言葉にならなくて、 ただただ、辛くて、悲しくて、寂しくて。 本当に居心地のよい学校だったなぁ。 先生は意地の悪い人もいれば、異常に優しい人もいたり、すごい個性の強いメンツで、いっぱい怒られて、いっぱい誉められて、いっぱい相談にのってもらって、いっぱい、いっぱい。 なによりも友達との別れが辛かったです。 こんな時期尚早に卒業式が執り行われたため、受験シーズンまっさかりで11人も欠席が出てました。18日は慶應大学の商学部の試験だから、ほんとうは私も出席できなかったんだんだなぁ、と思うと、式に出られない友達の気持ちが痛いほどよく分かり、ギューンと、ムネが締め付けられる感じがしました。 でもね、 終わりがあるから美しい 美しいから永遠に残る って思うようになりました。 思えば6年前の2000年、小学校では一番の優等生、常識的な子供で、どこか冷めた部分があり、学校で一回も、もちろん卒業式ですら泣かなかった私が、あの学校に入学しました。 最初の行事が、創立者の祝日。 ちょうど、学校が創立されて200周年、ということで大々的なフェスティバルになりました。 今の校長は派手なことが嫌いで、なにかと制約がつくけれども、前の校長は寛大というか、温厚な方で、それ故に、この日はすごいことになったんです。 仮装大会 あの学校で、あとにも先にもない異常な事態だったように記憶しています。 『中1の生徒は、好きな仮装をしてよろしい』 ということで、考えあぐねた末、 『まぁこれくらいだろう』 と思い、ネコの帽子と、シッポをつけることに。 しかし・・・ いざ学校でみんなをみてみると。。。 サッカーボール ホウキ シスター(40人以上) 熊やネコの着ぐるみ などなど。。。 なんなんだこの学校はッ って思いました。正直。ここまでやるか、普通。 サッカーボールですよ?ものすごい大きいサッカーボールから頭と手と足が生えてて、で、でんぐりがえしとかしてるんですよ? 頭おかしいっておもいました。 ちなみに、そのサッカーボールになってた子は、生徒会長になりました。 きどらない、ありのままの自分。 それを見せられるのが、学校でした。 特に私は高等科にあがってから両親との関係が悪化し、家ではほんとうに息苦しい毎日でした。学校に逃げてるって感じだったし。隠れ家であり、盾であり、学び舎であり、かけがえのない時間を過ごせたよ。 おうちに帰ったら、後輩から鉢植えのお花が届いてました。 先輩から花束が届いてました。 先生から手紙が届いてました。 声あげて泣きました。 わんわん、とか可愛くないよ、ぎゃぁぎゃぁ、嗚咽して泣きました。 ほんと吐くかと思った。 で、制服が脱げなかった。 もう、着れない。 緑の千鳥もこの際愛おしい。 う~ん。 書いても書いても尽きないなぁ。 今は結構落ち着いて前向きですよ? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2006.02.19 23:17:10
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