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広島に原爆が落とされた恐怖の時間。
それまで、戦時下にあり覚悟をし生活をしていたにせよ、次の日を迎えるわずかな幸せさえも米国の非人道的判断により奪い去られた時間、「八時十五分」。 常に米国は自国優先、優越主義の王道を貫き突っ走て来た。 その陰には、犠牲になった多くの老人に女、子供が。もしかして?この世に生を受けた瞬間が、命燃え尽きた日に、なった人生があったかもしれない。 残酷。冷徹。非常。戦争とはそんなものなのかも知れない。 しかし、決してこの歴史の繰り返しを受け入れてはならない。 何故?不幸な歴史を繰り返すのか不思議でならない。 人を殺せば殺人です。戦争の大義名分の前には殺人は正当化される。。。 戦争に負けた国は、植民地とならずとも敗戦の傷跡を引きずる。経済大国となった日本、未だに米国の前には口を閉ざされる。。。 韓国では米国を美国という。。。美しい国。日本でも、米国。 アジアの貧しかった国が戦勝国に憧れを持ったのか。。。あまりにも切なく悲しい。 広島出身の友人がおり、ある時淡々と話してくれました。 彼女の母親は原爆が投下された日偶々広島にいなかった。。。でも、その悲しさ、苦しさは筆舌しがたかったと。 子供を抱え戦争未亡人となった母は生きる為に、したたかにならざるを得なかった。 そう話してくれました。 その話を聞いた日以来。。。広島には行けない。きっと行けない。そう思うようななりました。この苦しさや、悲しみを力にかえて何かが出来たらと考え、思う事もあるけれど、私には何も出来ない。 せめても、年に一度でもこの不幸を思い出し子供達に伝えられたらとそう思わずにいられない。。。 靖国参拝云々の前になすべき事、沢山あるはずなのに、今の国政は舵を失った、 船。ここから、人類が平和に幸せに暮らすことなど出来るのだろうか。 この時期必ず考えさせられるけれど出口は見えない。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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