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最近TV、新聞のニュースを賑わしているのが、近親者の殺人。それも残虐な形で自分を主張する罪人。
近隣者等にインタビューすると、必ず「あの人がそんな事するなんて」と感嘆符が付く。 家族だってわからない不思議は互いに沢山あるのに。。。ひさしの下から他家を除き見た所で、理解出来ようはずも無く。。。この世の欺瞞にため息が出る。 そして、時間の経過と共にそれらのニュースは人々から葬り去られ、行き場のない罪人が、その家族が贖罪の日々を過ごす。 こんなに大変な事件が、法治国家に庇護される事も、更生に尽力を尽くす事も形ばかり。 一方で、これからマダマダ活躍をして頂きたかった人が命の扉を閉める。 今月五日にやはり私の信頼と敬意を持ってお付き合い頂いた方の命が尽きてしまわれた。 残念でならないけれど、ご家族の凛とした視線の向日には、亡き故人の知りえなかった別の側面を、参列者から探されようとしているかのように見えた通夜の日。 私の命の時間が閉じる時まで、どれだけの事を成しえるのか心細い。 自信も不安も表裏一体の背中合わせ。 幸せは向日から歩いて来てはくれない。こちらから出向いて幸せを垣間見る。だからこそ訪れた幸せは恒久的に手元に置きたくなる欲望が生じる。 人はその限りなくエンドレスな欲望を欲するが余り、不幸の岸に連れて行かれるのかも知れない。 人がこの世を無欲で生きるには余りに難しい。 けれど、その欲から解き放たれた時人は真の幸せを手にするのかも知れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 11, 2007 01:23:24 AM
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