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最近、あまり笑うことがなくなった。愛想笑いすら出来なくなってる自分が
本当に情けなく思える。 残念な事にビジュアル的にイマイチな私。幼少時から愛想だけは良くって 人見知りをしない子だった。そこだけはよく褒められたものだけど今や そんな面影は微塵もない。人見知りが激しく、内向的でマイナス思考。 おまけに俗にいう空気が読めない性格らしい。 空気が読めないなんて正直、そんな自覚が今まで一切なかった。 「だからおまえは空気が読めてないんだよ。」投げかけられた言葉に固まった。 長年一緒にいる主人に言われてショックを通り越して唖然とした。 そして時間が経つにつれ、妙に納得してしまった。 こんな事を正直に言ってくれるのは主人しかいないのだから・・・ 私は小学生の低学年の頃からすでに視力が悪く、黒板の字がまともに読めない 状態だった。ノートに書き写すことも出来ない!!!と母に訴えてみたが めがねをする事は無碍に却下された。 担任の教師からも何度も助言はあったのに母は私にめがねを買う事はなかった。 どうしても理由が知りたく母に尋ねた。拍子抜けするぐらい些細な理由だった。 めがねを掛けるとひどく不細工になるから・・・。と。 母はなぜか解らないのだけど、めがねに対して物凄い偏見を持っていた。 私が中学生になった時はすでに今とさほど変わらない視力になっていた。 0.1以下の視力ではさすがに、めがねがないと不自由で何もできなくなっていた。 人と行動がワンテンポずれるのは当たり前で、階段を踏み外して生傷が絶えず 自分のことがまともに出来ない事に対してのイライラが募り始めた。 日を追うごとに生活に支障をきたし始め、当時、仕事が忙しく家にあまり居る事が なかった父に泣きつくしか方法がなく、したくはなかったけど泣きついた。 そして遅まきながらのめがねデビューを果たせた。 母は視力が良かったので、めがねの必要性を実感出来なかったのかも しれないのだけど、正直、子供がここまで困ってるいると訴えるのを 無碍に断るのもどうかと思う。一度却下された事をもう一度いう事は 我が家ではご法度だった。小さい頃からそうシツケられて来た。 強情な私は母に素直に甘える事も上手に出来なかった。 出来の悪い私とは違い、利口な弟は実に母に可愛がられた。 ある日、同級生に真顔で「さみちゃんのお母さんはママ母?」と聞かれた事がある。 近所のご婦人にも同様の言葉を投げかけられた。 そして血の繋がった伯母も母にエコ贔屓し過ぎる事を注意をしていたのを 耳にしてしまった。他人や伯母にもそう映っているぐらい私は可愛がられてないんだ・・・ 幼少時から薄々は感じていたけどそれはかなりのショッキングな事実だった。 母が年を取って老眼になった際も頑なにめがねを掛けずにいた。 母の胸元には可愛らしいペンダント型のルーペがいつもあった。 母は柔軟性に乏しい性格で一度受け入れられなくなったものはあくまで拒否。 そして一度信じてしまったものに対してはとことん信じてしまう。という 実に厄介な性格の持ち主だった。 私は母のようには絶対にならない・・・!と誓ったものだけど いつの間にか柔軟性のない心を持ってる自分にある日気が付いてしまった。 母に似て来たかもしれないと思うと物凄く悲しく思えてならず、 素直に笑えなくなってしまった。母が死んで10年以上も経っていると いうのに母と過ごした楽しかった思い出も何ひとつ浮かんでこない。 今更こんな愚痴しか出ない私は本当に親不孝者だと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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