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カテゴリ:モータースポーツ
カナダGP、スペインGPでポイントを獲得したSUPERAGURI F1チーム!そのポイントゲッター佐藤琢磨に酔いしれていたが、そのチームの代表鈴木亜久里はF1界でどの様な経歴を持っていたのか?ちょっと思い起こしてみた。
デビューは、あの中島悟がロータスホンダで活躍して、日本でもF1ムードが上昇気流に乗って来ていた時だったと思う。僕の記憶で残っていたのは、鈴鹿で日本人ドライバーとして最高位の3位をもぎ取り、表彰台に上がっていた亜久里が印象に残っていた。うぅんそれは何年前か?・・・調べてみたんですが、1990年の日本GP(鈴鹿)でした。しかし何というチームに所属していたのか??まぁそれだけ当時F1には夢中ではなかったんですね(汗) そこで鈴木亜久里って・・・表彰台ゲットと一緒に調べてみたら、デビューはなんと言うチームであったか答えが出てきた。1989年ザクスピード・ヤマハでデビューしてたんですが、ここに不名誉な記録が出ていた・・・。当時のF1は全16戦あり、全て出場はたしたが、その全て予選落ちで、決勝には出た事がなかったのです。うぅん当時の予選の方式が思い起こせませんが、決勝に駒を進めなければ予備予選?通過したチーム以外は土曜日以降のパドックにも入る事ができなかったらしい・・・。それではF1の経験が浅い日本人は世界で注目なんかする事などありませんね(涙) この時のF1はメーカーチームとプライベートチームの割合が半々位で、エントリーしたチームは何と最大26チームもあったらしい。それが予選までにふるい落とされ、日曜日の決勝グリットが決まるストーリーだったんです。だから、鈴鹿の3位表彰台しか記憶が無いのは当然なんですね・・・。当時はセナが活躍してた時だったかなぁ??もっと前か??片山右京はそのあとにデビューした事は分かっています。マシントラブルに泣かされていましたが、この頃のプライベートチームはかなり多かったようです。但し短命で、1シーズンで撤退するチームもあったねぇ・・・。僕はでもそんな事なんて知ることも無かった時代でしたが・・・。 しかしレギュレーションの変更で、シャーシもどんどん変わっていった事は写真を見るだけでも分かります。フロン路ウイングなんて中島悟がデビューした時は、今のIRLと同じくかなりワイドに広がり、横一直線!!そして尖がってますね(゜o゜)それが今では車高も最低地上高も上がり、シャーシも横にワイドとなっている。安全性を高める為にとった手段(スピードの制限など・・・)ですが、それに助かったのは今回のカナダGPでクラッシュしたクビサでしたね・・・。 あぁ・・・もうアメリカGPのフリー走行始まったかな?(^^♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.06.16 01:58:11
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