カテゴリ:歴史
この8月10日、11日でTVで広島に原爆(ピカドン)が投下された当時を再現したドラマ「はだしのゲン」が放送されていた。
かなり前からこのドラマについて報道されていたので観ようと思っていたが、2日間共に最初の30分位は見落としてしまったが、このドラマで、悲惨な過去を思い出させた内容だった。 当然その時僕は生まれていない昭和20年8月6日、午前8時15分17秒にB29から世界で始めて原子力爆弾が広島市投下されたのですが、ドラマではそこに至るまでの家族の営みを再現していた。 第二次世界大戦末期で非国民とされた家族が皆から非難され孤立していくさまを見て涙が出たが、当時の日本は悪あがきをして結局原子力爆弾の餌食となり降伏せざるを得ない状況に陥ったと言っても間違いではないと思ったのは僕だけでしょうか? 国民は国の為に奉仕するが、家族が生きていけない程食糧難だったという・・・。鉄が無いのに戦艦を作り、兵器も作るが限りがある。ゼロ戦でそのまま体当たりとか、人間を兵器にするような手段を取ったり、もうめちゃくちゃ。又、戦艦大和の殆どはコンクリートだったとの噂もあるが・・・。 こんな時ポツダム宣言が出るも、日本は無視した為、原子力爆弾の投下にGOが出たらしい。何故広島が標的になったのか僕は知り得なかったが、8月6日の広島上空を偵察していたB29は、快晴を確認し原子力爆弾投下が決定した。 原子力爆弾の威力は相当なもので、東京大空襲時は2,000tの爆薬と言うが、この原子力爆弾は15,000tもの爆薬に相当する。爆風も台風の何十倍もあり、熱量は4,000℃にも達したようで、もう周りは一瞬にして溶けた状態になったと思う。 あのきのこ雲は、その爆風と高熱が上昇気流を起こし、周りの土埃が正体らしいが、それがあの「黒い雨」となって放射能汚染を拡大させ、被爆者が増えていった・・・。 この爆弾は、当時原子力爆弾だとは分からなかったようで、「ピカドン」とも言われていたのがそれなのかは不明だが、後に広島赤十字病院の地下倉庫に保存してあるレントゲンフィルムが全て感光していた事から、この爆弾が原子力爆弾だったと分かったらしい・・・。 日本はまだこれに懲りず、8月09日午前11時02分長崎に2回目の原子力爆弾が投下され、日本は遂に降伏する事となったが、あまりにも残酷な形になってしまった事が、僕にとってとても哀しい思いと怒りが止まらなかった。 この原子力爆弾で何十万人もの死傷者を出し、第二次世界大戦で戦死した戦士はもう帰って来ない。この人々が生きていたら今の時代はもっと明るい時代になっていたと思ったりする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[歴史] カテゴリの最新記事
|
|