カテゴリ:健康
暫くでした。
こんなに長くブログを付けなかった事は無かったけど、こんな一大事は仕方がないよね。最愛の妻が他界し、四十九日法要を終えてやっと少しは落ち着いてきたようなので、いつまでもくよくよしてたら妻に申し訳ないねと、ちょっと日記を付けてみようと思います。この事実を何かに表しておきたかったし、ずっとこの記憶を心に留めておきたかったので、ブログに書き記す事にしました。 僕の家族は4人家族ででした。今では既に長男は成人して就職してるし、娘も高校を卒業して専門学校に通っているから、片親になっても何とか頑張れるからちょっと良かったのかもね。これも、既に妻は死期を分かっていたかのように、僕があまり辛くならないよう段度ってくれたような気がしてます。 他界した最愛の妻は、8月20日くも膜下出血(脳動脈瘤破裂)で救急病院に運ばれ、緊急手術。CT、MRIの検査など3時間半くらい掛かり、その後手術は7時間・・・。手術が終わったのは夜中の零時半頃。先生は首を傾げ「出血は別のところかもしれない」と・・・。他の場所が見付けられなかったらしい。後日カテーテル検査で突き止めると言ったけど、僕ら家族はとても心配で仕方なかったけど、翌日その検査で破裂した箇所は今回クリッピング術行った所だたと断定し、先生も自身ありそうな顔つきで、僕たち家族はほっとしたんです。 その後後遺症も無く話もでき、手足も動かし、もう少ししたら一般病棟かなってみんなが思っていた矢先、入院したICUで11日目再出血・・・。この出血があってから再手術したのですが、その手術後意識が戻る事がないままもう1回手術・・・。それも脳の腫れがひどくその腫れがひかないと脳死になると非情とも言える先生の答え・・・。1週間様子を様子を見ることになったけど、生存の確率は50%と・・・。 しかし、その翌日9月3日脳死と宣告され、ただ泣き崩れるだけでした。それからICUの個室で意識が戻らない状態で、ずっと人工呼吸器をつながれたまま9月18日午前10時32分息を引き取りました。四十そこそこの年でした・・・。 僕も家族もみんな、くも膜下出血で社会復帰した人はいっぱい居るから大丈夫だよって思っていたし、妻本人もそう思っていただろう・・・。そんな気持ちだったから、僕も家族みんな、そして妻の両親も泣き崩れるばかりで何ひとつできることなく時間だけが過ぎていったね・・・。 再出血から息を引き取るまで、僕はずっと病院で妻の傍にいてあげました。それくらいしかできないけど、気持ちは伝わると思い、話しかけたりもしたし、体も拭いてあげた。 他界して間もなく僕は、結婚してからの24年間を振り返って・・・ みんなに頼られ、一生懸命みんなの為に頑張ってきたお前だけこんな運命をたどるの?世の中にはためにならないで生きている人もいるのにどうして?って、ずっと告別式9月23日まで思っていました。でも、亡くなった妻は息を引き取ったその瞬間から霊となり、極楽浄土に行き、心地よい世界に旅立って行ったといいます。悲しんでいたり、頼ったりしてたら、妻の霊はどうしていいか分からず、浮遊霊となってさ迷ってしまうんだとか・・・。 供養してあげるその気持ちが大事で、その気持ちが妻に伝われば、成仏できると言うので、僕はその気持ちを毎日妻に捧げるようにしています。 まだ両親も健在で、墓もなく、一番先にあの世へ旅立って行った妻は、やり残した事もあったと思う。当時は辛かったと思うけど、僕がその残した物は全て解決してあげようと思います。 心配しないで、安心していつも僕たち家族を見守ってて下さい。 もう二人で旅行なんて行けないし、まだ行こうとも思う気持ちはないけど、もう少し時間が経ち、勇気が出てきたら、妻を思い出しながら旅行へでも行ってリフレッシュしたいと思います。 車イジリもできそうですが、取り合えず妻の愛車「コペン」を可愛がってあげようと思います。だってガソリンが上がったし、2台を併用するには「コペン」も乗らないといけません。いつまで乗れるのか??ですが、まずはETCとナビをチョイスしようと思います。今は亡き妻も喜んでくれるのではないかと思っているのですが・・・。 まだいっぱい書き記すことはあるんですが、ひとまずここまでにしますね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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