葉っぱばあちゃん
お盆とかでおばあちゃんの家に行くと、おばあちゃんはいつもぼくにこう言った。「好き嫌いしなさんな。食べれるもんは、何でも食べるんよ」ぼくは本当は納豆とグリーンピースが嫌いだったけど、それはおばあちゃんには言わず、いつも「うん」と返事していた。ぼくが10歳のとき、おばあちゃんはぼくをタコ公園に連れて行ってくれた。二人で散歩していたら、おばあちゃんがとつぜん、ベンチの後ろの草むらに生えている雑草の葉っぱを手でちぎったあと、それを食べた。正直、ぼくはちょっと引いた。でもおばあちゃんは「食べれるもんは、何でも食べるんよ。ほら、あんたも食べぃ」と言って、一口サイズの葉っぱをちぎって寄越した。ぼくはためらったけど、おばあちゃんがあまりにおいしそうに食べたので、もしかしたらという期待を胸に、齧ってみた。10年生きてきた中で一番マズかった。すぐに葉っぱを吐き出すぼくを見ておばあちゃんは笑っていたけど、口の中の雑草の後味に苦しんでいたぼくは、笑い事じゃない、と内心思っていた。ぼくが12歳のとき、おばあちゃんはガンで死んだ。ぼくは泣いたけど、悲しいのかよく分からなかった。葬式が終わった次の日、ぼくは自転車でタコ公園に行った。特に何か目的はあったわけじゃないけど、なんだか家でじっとしてられなかったから。ベンチの後ろの草むらを見つけたので、ぼくは葉っぱを手でちぎって食べてみた。やっぱり最高にマズかった。必死で口の中の葉っぱの残骸を吐き捨てているとき、一瞬おばあちゃんの笑い声が聞こえた気がした。大人になった今も、ぼくはたまにおばあちゃんのことを思い出して、道ばたの葉っぱをちぎって食べることがある(もちろん、人に見つからないように)。大人になったら葉っぱの味が分かるようになるかもしれない、と思ったけど、葉っぱは、やっぱりマズかった。お盆におばあちゃんにお参りするときは、ぼくはいつもこう言っている。「おばあちゃん。安心してください。 ぼくは好き嫌いせず、何でも食べています。」嘘はついてないよ。ぼくは、納豆もグリーンピースも、食べられるようになったんだ。葉っぱはまだ食べられないけど、おばあちゃんはきっと、笑って許してくれるさ。