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カテゴリ:自分の日常
年度末、3月31日。
私の職場はてんやわんやの忙しさでした。 私は夫へ仕事へ行く前に届けるはずのものを忘れるし・・・ 同じ階の人達も忙しそうでした。人事異動がある明日。今日で最後の人もいたのです。 さぁ、何とか仕事の時間が終わる頃。 またも・・・地震 あの3月11日の時と同じ音がして揺れたんです。 なんていうか・・・ゴォー・・っていうか音がしたので。 絶対にまたこれ・・・って思ったら、みんな外へ出て避難。 我が家の方は震度4でした。 帰宅前まで気が抜けない日々がまだ続きそうです。 あの日のことは、絶対に忘れることはないだろうなぁ。 帰ってきた娘を迷わず抱きしめて女たちで泣いたもん(愛犬も一緒) 私のご近所の方で、ご主人があの町長が津波で亡くなった大槌の出身の方がいます。 たまたま、近所の用事でその方のお宅へ行った時。 奥様が涙ぐみながら話してくれました。 未だに、神社へ避難し生活しているご主人の身内。 津波で帰って来ない方と亡くなった方が身内にいるのだそうです。 火葬場は沿岸はもはや満杯状態で、私の住む内陸でも火葬しているそうなのですが やはり、津波で顔も痛み、お花で隠してあげるのが精一杯。 もちろん、服はその時のまま。見送る身内も喪服はありません。 お花も今こそかなり流通してきましたが、菊の花は足りないのだそうで、色々とあちこちから買って飾ってあげるので精一杯。 生き残っても家族が誰もいない人もいるのだそうで、生き残っても土地があってもどうやってこの先、生きたら良いのか分からないと言っているそうです。 それでもすごいなと思ったのが、必ず、炊き出しを3食きっちり作っているんだそうです。 材料も限られ、寒い中で・・・。 あの日、夜に自分の家が気になり、電気が無い中我が家を目指した時に、遺体を踏んでいたそうなんですね。それでも生きようと必死なんだと聞いてて泣きたくなりました。 服をかってやりたいとあれこれ服屋さんをまわったけれど・・・みなさん考えることが一緒なのね。LLサイズしか残ってなくて・・・でも買って持って行ったよ。 ご近所の方は言っていました。 生きてて、本当によかったな。感謝。感謝。 この話、息子にすると息子はえらく真剣な顔になります。彼なりに学んでくれればと。 明日から新年度。被災地にも少しでも明るい光を。 そう思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.03.31 22:19:43
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