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2006.12.12
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カテゴリ:非政治
 今年も残すところ3週間を切った。例年のことながら,この時期になると1年が過ぎるのは速いものだと感じる。いよいよこの二度とない2006年という年の終焉が近づいているのだ。それを再認識する時,自ずと緊張感だとか切迫感だとかいうものも生まれてくるものだ。

 ところで「時間」に関する興味深い記述を見つけた。倫理学者の熊野純彦東京大学助教授の著書『メルロ=ポンティ 哲学者は詩人でありうるか?』の一節を以下に紹介させていただきたい。

 時間が流れるためには,「ひとつの現在」が,つまり,私の現在が必要である。さらに「かつて」とか「いつか」とかと呼ばれるふたつの非現在,あるいは「非存在」が必要なのである。この現在,ひとつの現在もまた不断に到来し,絶えず過ぎ去ることで,ひとつの現在なのであり,つまり非存在となることで現在なのであるから,時間は3つの「非存在」を必要としているといってもよいだろう。この3つの非存在によって時間は現在から現在へと移行し,「流れる」。あるいは現在から現在へ移行するのだから,時間はみずからを流す。

 時間とは時間がみずから流れる,みずからを流すことである。時間のうちで運動するものであるなら,他のものによって動かされて運動する。時間は,しかし,それみずからが流れなければならない。その意味で時間は,じぶんでじぶんに触れること,じぶんを触発することで,時間として流れ,そのように流れることで時間となる。しかも,時間そのものを私が構成するわけではないにしても,時間はつねに私をとおって流れ,滲みだしてゆくかぎり,時間によるこの自己触発は,私の自己による自己の触発,私の自己触発でもある。

 いずれにせよ,時間の流れというものは川の流れのように止めることはできない。大切なのは,与えられた時間の中でどのように生きるか,ということではないのだろうか。より「価値」のある来年を迎えるために自分は何をすべきか,そろそろ本格的に考えなければならない時に直面していることを自覚せずにはいられない。





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最終更新日  2006.12.15 03:03:00
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