「人間は死を抱いて生まれ、死を抱えて成長する」
今日は京都を散策してきた。実は,京都を訪れることを決めたのは今朝だった。つまり,もともと今日は京都に行く予定ではなかったのだ。本来なら別の予定を履行するはずだったが,急きょキャンセルせざるを得なくなって時間が空いてしまったため,どこへ行こうか電車の時刻表を見ながら考えていると,最も早く到着する有名観光地・京都が浮上したのだった。 なるべく低コストで旅を完遂させたかったため,昼食は京都駅構内にある立ち食いの店の380円のうどんで済ませ,京都駅から徒歩圏内でかつ無料の観光地である真宗本廟(東本願寺)・本願寺(西本願寺)の2ヵ所を訪れ,土産は何も買わなかった。 東本願寺・西本願寺のいずれも工事中で,拝観できる部分が限られていた。2011年の『親鸞聖人750回大遠忌法要』に備えるためだそうだ。 東本願寺には,「人間は死を抱いて生まれ、死を抱えて成長する」という法語が掲示されていた。確かに人間は,いずれは死ぬということが生まれた時から決まっている。人間には4つの根元的な苦悩「生・老・病・死」があるが,死を抱えているからこそ,死について苦悩し,その苦悩の中でいかに生き抜くか,ということを考えるから成長していく,という意味なのだろう。 もしも人間に「死」がなかったら…。我々の生き方も大きく変わっていたことだろう。