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居酒屋こはる

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2010年11月07日
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カテゴリ:徒然

幸田 文さんのエッセイを読んだ

「木」

これは 幸田さんが様々な 木 と対峙してきた記録のようなもの

好きな文章があった

引用させて頂きたい

 

「えぞ松の更新」

北海道の自然林では、えぞ松は倒木の上に育つ。むろん林のなかのえぞ松が

年々地上に送りつける種の数は、かず知れぬ大変なものである。

が、北海道の自然はきびしい。

発芽はしても育たない。しかし 倒木のうえに着床したものは、しあわせなのだ。

生育にらくな条件がかなえられているからだ。

とはいうがそこでもまだ、気楽にのうのうと伸びるわけにはいかない。

倒木の上は狭い。弱いものは負かされて消えることになる。

きびしい条件に適応し得た、真に強く、そして幸運なものわずか何本かが

やっと生き続けることを許されて、現在三百年四百年の成長を遂げているものもある

それらは一歩の倒木の上に生きてきたのだから、整然と行儀よく、

一列一直線にならんで立っている。

だからどんなに知識のない人にも一目で、ああこれが倒木更新だ、とわかる

―――と そう話された。

話に山気(さんき)があった。 感動があった。

なんといういい話か。

なんという手ごたえの強い話か。

これは耳に聞いただけでは済まされない。

ぜひ目にも見ておかないことには、と決めた。

さいわいに富良野の東大演習林見学の便宜を与えられた。

思いこんだ一念で、ぎゃあぎゃあとわめいたからである。

わめかれ頼られた方々こそ ご災難、まことの申訳ない、とわかっていてもやめられなかった。

自分ももう年だし、この縁を外したらと思うと気がせいて、

ひとさまのご迷惑も自分のみっともなさも、棚へあげて拝んでしまったのだから

えぞ松に逢えると確かに決まった時にはうれしかった。

 

引用 終わり

 

「倒木更新」への興味もさることながら

私は、あの 幸田 文さんが

「ぎゃあぎゃあ わめく」 ところを想像して可笑しかった

 

そして、可笑しいだけでなく 自分に近しいものをみて 嬉しかった

 

私はいつも 「何か」を知ると その「何か」に逢ってみたくてたまらなくなる

それは 人 だったり もの だったり 現象 だったりする

 

何かに出逢って わぁ! と心が動く  

私は自分でも感動しやすい性質だと、ちゃんと自覚しているけれど

何でも かんでも 感動する訳じゃない

日々 触れる沢山の物事の中に

見え隠れする 微かな 何か

それに出逢う事こそ 生きている証なのだと想う

 

だから、それを実際に見たい 触れたい、感じたい と想うのは当然の事

私にも覚えがある

たとえば「修禅寺物語」

たとえば「源氏太鼓」

たとえば「柏崎の小林康生さん」

出逢い、心動かされたこれらに 私は

「逢いたい」「見に行きたい」「聞いてみたい」「もっと皆に知らせたい」

募る様々な想いに突き動かされるように

文字通り ぎゃあ ぎゃあ 言う

いつも いつも  その事ばかり言い募る

 

そうしている内に

「そんなに言うんじゃ、、、」と

救いの手が差し伸べられたり 思わぬ情報を届けて下さる方が居たり

有難く、嬉しい事がおこる

 

幸田さんが

「えぞ松に確かに逢える と決まった時には嬉しかった」と仰る

その心持が 手に取るようにわかって、私も嬉しかった

 

えぞ松に逢う  「見に行く」のではなく

「逢いに行く」

そして「会う」ではなく「逢う」 

作家が 敢えてこの言い回しと 文字を使った その心を想う時

まるで 恋の様に

無垢な 一心の想いは必ず 叶えられるのだ と感じて

私は 嬉しかった

 






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最終更新日  2010年11月07日 21時33分52秒
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