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カテゴリ:徒然
前回の重苦しい日記を読んで下さってありがとう
もう少しお付き合いください 私達の母は、樺太生まれです 終戦後、引き上げ船で本土へ渡って来たそうです 本人曰く「帰国子女なの~」(笑) 未だに母の話に「本土」と言う言葉が入ることがあります 「トマトもスイカも、本土に来て初めて食べたんだよ」 酷寒の樺太の話も良く聞きました 留萌(るもい)には、ソ連軍の攻撃で沈没した3船の引き上げ船の慰霊碑があります 幸い、母が乗った船は無事でしたが もし、と考えると 私も弟もこの世には存在しなかったという事に 改めて気づかされます 先の日記の稚内 そこから、晴れた日には樺太が見えると聞きました 「43㎞先」の看板が見えます 弟が次に送ってきたのが 「猿払電話中継所跡」 (さるふつでんわちゅうけいじょあと) クリックしてね 詳細が見られます この中継所が、真岡郵便局の交換手たちの、最後の言葉を伝えています 慰霊の旅は、こういった碑だけでなく 東日本大震災の被災跡地 陸前高田や南三陸の電話局も訪ねています 移転して、規模も小さくなってしまっていたよ、と言っていました 自身も被災しながら、懸命に職務を全うした同胞に 心の中で手を合わせていたのでしょう 山の上に立つ電波塔 そこまで、機材や資材を担ぎ上げ、鉄塔を作った人がいる、という事を 忘れちゃダメだよ、と 「通信を途絶えさせない」 何だか、感傷的な日記になってしまいました 自分自身の備忘録としても 書き留めておきたい事共でした お付き合い頂いて ありがとう♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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