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居酒屋こはる

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2024年08月05日
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カテゴリ:徒然
​​前回の重苦しい日記を読んで下さってありがとう

もう少しお付き合いください

私達の母は、樺太生まれです
終戦後、引き上げ船で本土へ渡って来たそうです
本人曰く「帰国子女なの~」(笑)
未だに母の話に「本土」と言う言葉が入ることがあります
「トマトもスイカも、本土に来て初めて食べたんだよ」
酷寒の樺太の話も良く聞きました

留萌(るもい)には、ソ連軍の攻撃で沈没した3船の引き上げ船の慰霊碑があります
幸い、母が乗った船は無事でしたが
もし、と考えると
私も弟もこの世には存在しなかったという事に
改めて気づかされます

先の日記の稚内
そこから、晴れた日には樺太が見えると聞きました
「43㎞先」の看板が見えます

弟が次に送ってきたのが
「猿払電話中継所跡」
(さるふつでんわちゅうけいじょあと)
クリックしてね  詳細が見られます

この中継所が、真岡郵便局の交換手たちの、最後の言葉を伝えています


慰霊の旅は、こういった碑だけでなく
東日本大震災の被災跡地
陸前高田や南三陸の電話局も訪ねています
移転して、規模も小さくなってしまっていたよ、と言っていました

自身も被災しながら、懸命に職務を全うした同胞に
心の中で手を合わせていたのでしょう

山の上に立つ電波塔
そこまで、機材や資材を担ぎ上げ、鉄塔を作った人がいる、という事を
忘れちゃダメだよ、と

「通信を途絶えさせない」


何だか、感傷的な日記になってしまいました
自分自身の備忘録としても
書き留めておきたい事共でした


お付き合い頂いて
ありがとう♪


​​​​​​​​





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最終更新日  2024年08月05日 12時50分38秒
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