偶然と必然
大好きな銀色夏生さんのエッセイにこんな文章がありました(転写じゃないのでニュアンスだけ汲み取って下さい)「よく、アスファルトの割れ目とかから、小さな草や花やが咲いているのを見て、こんな所に咲いて・・と感動するけれど、そこに土があり、植物の種があり、発芽に必要な水分と日光があったから、その植物が芽吹いたそれは奇跡でも健気でもなんでもなく、ごく当たり前の事なのだ 物事を感動というフィルターに通さずありのままを見つめる目をもちたい」確かこんな文章だったと思います私、頭をガーンと殴られたような衝撃を受けましただって普通そう感じますよね 僅かな隙間に一生懸命咲く可憐な花確かに、、と彼女も認めているのですが、そこからがこの詩人の他の人と違うところだなぁ と思いましたありきたりの感動や同情に流されずに物事の本質を見ようとする姿勢に打たれましたそれからです私が「在来種」というものに愛着を感じるようになったのは何代も何代も、その土地で咲き続ける草花にはその必然があったのだ、とあるべくしてそこに「ある」花々 草木 1つも絶やすことない庭づくりを目指したい