|
テーマ:愛しき人へ(903)
カテゴリ:カテゴリ未分類
3月だー。
もうひなまつりも過ぎたー。どんどん春になってるー。 例年なら、立春を過ぎたころから春モードのウキウキなんですが。 今年の2月は、辛かった。。。 延々と自分セッションしてたかんじ( ̄▽ ̄;A もうだいぶ抜けたけどね~。 以下、もうそこに戻らないための、自分の棚卸しとしてかきます。 2月は、前夫の命日がありました。 10回目。ということは11回忌。いつのまにやらそんなに月日は経っていた。 もう平気だと思ってた。 次女が生まれて、2月は悲しみの月から喜びの月に変わったんだと思ってた。 でもいったん恐怖が出て来たら、向き合わなきゃいけなくなった。 死というものに。 その記憶に。 ほんと、もうなんもないなーって思ってたんだよね。 ここ何年か、そのときと似た風景を見ても動揺しなくなってたし、あーあの辛さは昇華できたんだなーって思ってた。 とーこーろーが。 うっかり、死の恐怖を身近に感じたらダメだったね~( ̄▽ ̄;A たぶん、ずーっと、ちゃんと人に言えないできたことも関係してる。 変に偏見持たれるような気がして、人に距離を置かれるような気がして言えなかった。 でもそれは、自分のなかにまだわだかまりがあったからだ。 言ったら、感情が吹き出してきちゃうんじゃないかという怖れ。 とりあえず蓋しといた部分を見なきゃいけない。 で、人に話しながらちょっとずつ蓋をずらすって作業をしないでいたのに、 突然蓋がとれちゃったわけだ。 きっかけは、胸の苦しさ。 別にいままではフツウに、あーこれハートチャクラだなーとか思ってたのに、ふとした瞬間に、あれ?これもしかして?って思っちゃった途端。 肉体的な痛みと精神的な痛みは区別がついてたはずなのに、一気にわかんなくなっちゃった。 そーしたらもう恐怖の嵐だよね~。 彼は、「胸が苦しい、痛い」と言って死んだ。 そして、あのころと似た状況。 あのときと同じくらい太ってるし、子どもの年齢も同じくらいだし、とかなんとかいろいろこじつけで。 なんかもう、あたし死ぬ、死んじゃう、としか思えなかった。 胸が苦しいと言って彼は死んで、今度はそれであたしが死ぬんだ、と。 いやそんなはずない、違うだろ、と思いつつも、恐怖の手招きは強くて。 調べるのに狭心症とか動脈硬化とか死とか文字見るだけで怖いし 夜眠るのも怖いし 暗がりも怖いし 病院行くのも怖いし ちょうど、天皇陛下が動脈硬化って発表されてたしこのタイミングでなんて予告?!とか 楽しいことがあるのは死ぬ前のごほうび?!とか まー、きりがないったら。 (いろんなツッコミは今回なしの方向で書いてますw) ほんと怖くって、愛にいるはずなのにどうしてこんなことが起こるのかわからなくって、自分じゃどうしても答えが出ないから、ミリアムさんに相談した。 言われたのは、 高い周波数に慣れてようやく周りが見えてきて、 そこにあった強く高い未知のエネルギーに対して、どうしていいかわからない、なす術が無い状態が 自分のなかのhelpless~なにもできなかったという想いと結びついて、パニックを起こした。んだって。 未知のものに出会ったとき、人は自分のなかの記憶と結びつけようとするからこういうことが起こるんだって。そしてそうさせるのは恐怖なんだって。 すっごいナットク。 で、ミリアムさんのアドバイスに従ったところ、一晩で8割がた苦しさは引いちゃいました~。 そう、なにもできなかった。 胸が苦しいって言ってたのにあんまり心配しなかったし 死ぬ数日前に病院で検査したのに異常ないって言われたし 一瞬で倒れてそのまんま逝っちゃったし そのへんのことを思い出していて、病院が怖かった理由もわかった。 病院行ったのに!っていう怒りが「病院に行くと死ぬ」に無意識ですり替えられたんだなー。 でないと、なにもできなかった自分が死なせた、って思い込みになったんだろうと思う。 あーそうだー、怒りもあったんだ。 病気を見つけてくれなかった病院への怒り、 なにもできなかった自分への怒り、 そして、一人だけとっとと逝っちゃった彼への怒り 前2つはともかく、最後のは…ねえ。 故人に怒るなんてできなかったもんなあ。 そーだよ、あたしと娘は怒ってもよかったんだ。 家族になって3年で、26才と3才なんていう若さで残されちゃってさ。 ほんとひっどいよ!まったくもー! あ、あと。 そのとき一緒に死んじゃいたかった、って思ってたのも今回の一因かなあ。 ずっと、死にたい、でも死ねなかった、って思ってた。 この想いもたぶん、もう死ぬっていう思考を引き寄せたんだよな~。 まあでも全部、10年前は、無意識でも生きのびるためにそうしたんだ。 恐怖を、死を、とりあえずしまい込んで、いろいろすり替えて。 そういえば、楽しかったこととかもあんまり想い出せないんだった。そこまで蓋してたつもりはなかったけど、やっぱりすべてが結びついてたんだなあ。。。 10年も経って気づくってなんだよ、ってかんじだけど(笑) でもそれだけの期間を置かないとわからないくらい、大きいできごとだったんだよね。 パートナーが目の前で突然死、って経験したい人いる?いないでしょ?w それをおいらは経験したんだぜ!w あまりにも大きすぎて、恐怖を感じないようにしていたんだ…というか、蓋をしていた理由は悲しみじゃなくて恐怖だったんだけど。 今回のことで、過去10年、いかに恐怖にレゾネートしていたかを見たな~。 なにもかもが、恐怖に基づいた思考。 いいことはすべて悪いことの布石、みたいな(笑) いいことばっかは続かない、とか すべてのできごとが恐い意味に転換される。 そーするとほんと負のスパイラル。 この日記も、書きながらまだちょっと怖かった。 表に出したらまた同じことが起きるのではないか、とか こんなことを書いたら本当になってしまうのではないか、とか。 しみついた癖はすごいな~(^^ゞ でももう、恐怖、いい。ブン(>_<;))((;>_<)ブン もういらない。ほんと。 今回は、似た状況を再現して、愛と恐怖どっちを選ぶのかってことでもあった。 最高の愛の環境に対して、最悪の恐怖の環境を味わったというか( ̄▽ ̄;A 愛を知ってからの恐怖は、その落差で、ハンパなく怖かった~。 恐怖は、愛のすぐ隣にある。それもまた全体の一部。 でも、恐怖の無い世界はないけど、恐怖にレゾネートしない世界なら創り出すことができる。 恐怖に落ちるのもかんたんだけど、愛にも同じくらいかんたんに切り替われる。 なんか、ようやく、あのできごとの収まりどころができたかな~。 悲しみとか恐怖とかひっくるめて、過去を抱いていたんだな。 これからは、フラットに、感情を伴わず、思い出として置いておく。 そんで。 この文章を以て、恐怖の環境にディスコネクト!の宣言とします。 私は、最高の愛の周波数で生きることを選択します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年03月06日 00時32分37秒
コメント(0) | コメントを書く |