梅雨のホタル!
昔、蛍を捕まえに行った記憶、蛍を追いかけたら川に落ちる。昔は聞き流して落ちたことも、なんとなく年が行けばその言葉の意味が分かる。この蛍、器用にカワニナなる巻貝に寄生をする。よって、川そこで何かの光?これ大きそうになった蛍の幼虫、今になり、我々の体にも様々な寄生物質が存在する、共存できなければ脳までやられる、果報は寝て待て、阿呆は起きて待て、高槻駅の西北出口横、小さな自転車置き場有料、出勤前は時々ここでタバコに火をつける。何日か前、小さな鳥の無き声は、手の届くところに燕の巣、今までもそしてこれからも、同じ正しい物しか口にしないだろう。それを思うと人はどうか、5匹の小さな雛、どうやってエサを順番に口にするのか、見ていると、親は左から順番、二回口にするなんてことはなかった。順列は崩さず、そして今朝は3羽いなくなっていた、又幼いので夜には戻るだろう、父母親からの訓練。カラスなどの敵には、燕返しとか、生きる賢明さがそこにある。そう、父母親からの訓練、ここに尽きる。それが出来ないにもかかわらず、又学びもしないで、家族を求め子供をもうけてはどうか。燕の子供は5匹いた、そのうち何匹かは育たないだろうか、ちなみにワニなどは、兄弟や親に食われるらしいが、ホタルのカワニナ、フィボナッチの法則、同じ巻き方で過去も未来も、心あれば幸福もある、そうでなければ他人が良く見え、幸福は来ない。どう断ち切るか、ホタルや燕が知っている。梅雨前の定休日、仕入れに出かけてきます。