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カテゴリ:★にゅうがん☆
乳がんで初めて、病院へ入院した日。 元気な人達の食事は、7階のラウンジでした。 初めての食事は、夕食。 個室だった為に、ラウンジへ上がると知らない人達ばかり。。。 窓際の席が空いていたので、“ここ空いていますか?”と聞いたのが、M田さんでした。 窓から外を見ながら、一人で食べていると奄美大島へ向かう船が見え・・・下の道路を見ると、家路へ向かう車が見え・・・“一人なんだぁ。。。”と思った瞬間、目から涙がこぼれました。(ちょうど弟の結納まで1週間もなかったので、一人で鹿児島へ行き、父方のお姉さんに付き添ってもらって、入院しました。) 次の日の朝食も、同じ席へ座ろうとするとM田さんが“良かったら、一緒に食べましょう”と声をかけて来てくれて、M田さんとA谷さんと3人で話をしながら朝食を食べました。 それから、食事の時は毎回一緒。 病室にも様子を見に来てくれたり・・・M田さんは多くの仲間たちに、元気と明るさを配ってくれました。 術後、1年も経たないうちに健側にガンが見つかり、手術・抗癌剤治療を受けたM田さん。 この時、お見舞いへ行き、初めてM田さんの涙を見ました。 その後、また元気になったM田さん。 “新茶はガン細胞をやっつける効果があるから”と新茶の時期になると毎年、知覧から新茶を送って来てくれたM田さん。 “診察を受けに行きます”と連絡するとバスで1時間近くかけて会いに来てくれたM田さん。 12月に、相良病院にある患者会『つどい いずみ』の奄美大島で初の定例会があると聞いたので、“M田さんも来るのでは?”と思ったのでM田さんの携帯へ電話をかけました。 電源が入っていなかったと言う事はないのに、電源が入っていない状態。 “おかしいなぁ。。。どうしたんだろう。。。”と気になったので、M田さんと仲の良かったY村さんへ電話をかけました。 “M田さんは、お腹が痛いと言って地元の病院で入院しているのよ”とY村さん。 M田さんは、いつも元気でいるとばかり思っていたので驚きました。 でも・・・きっとまた元気になって退院すると思っていたので2月に定期検査で鹿児島へ行った時に、元気なM田さんの顔を見に行こうと決めていました。 それなのに・・・“今朝、M田さんのご家族の方から、M田さんが亡くなったと連絡があったよ”と今夜Y村さんから電話がかかって来ました。 M田さんと最後のお別れしたいと言う気持ち。 M田さんの旅立ちを信じたくない気持ち。 7年目が経とうとしているのに・・・どうして!! M田さんから、“私からのお守りと思って着けてね”と頂いたプレゼントのピンクリボンのピアスが、本当のお守りになってしまいました。 M田さんの分も、ガンコに負けないように長生きするぞ!!
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